街歩き 庭めぐり

<はじめに>

街歩きは、今や年齢に関わりなく、多くの人の楽しみとなっています。人それぞれの興味や趣味の違いによって、街の選び方、ルートの選定も多様多彩になるものです。

このブログでは、ガーデンデザイナーとしての私が、街歩きの中で見つけた、面白いもの、きれいなもの、不思議なもの、すごいもの等々をご紹介するとともに、東京に残る、江戸や明治・大正・昭和といった近代に造られた庭をめぐり、その魅力や歴史や見所を少しずつご紹介していきたいと思っています。

 

<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

甘泉公園 江戸の大名庭園にさかのぼる歴史を持つ庭園

大隈庭園 明治期の特色を残す庭園

 

<神田川沿いの街 目白台の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

新江戸川公園

芭蕉庵

<神田川沿いの街 関口台の街と庭園>

関口台町 

椿山荘庭園

<白金台の街と庭園>

池田山

池田山公園

白金台の裏道・小道

八芳園庭園

桑原坂界隈

シェラトン都ホテル東京の庭園

<消えた渋谷川と街と庭園>

新宿内藤町

新宿御苑

<お客様の街で見つけた風景>

2020年

3月

21日

<消えた渋谷川と街と庭園―34>

新宿御苑 ⑲

 

□水路(流れ)・日本庭園 (2)

 この庭は、東西に細長い空間の中央を水路(流れ)が流れていますが、その他にも二筋の流れが見られます。北側の流れは、樹林の茂るゆるやかな斜面が下って平坦な芝生に接する位置にあって、浅い流れながら黒朴石や玉石で縁取られた庭園的な造りになっています。

 

 流れの一部は、水の見られない枯流れのようになっていますが、わずかに水の流れているところもありますので、右の写真に見るように少ない量ながら湧水があるようです。この流れのある位置は、渋谷川の旧流路の川岸の下部に当たりますので、地形的にはこうした湧水が出るのも当然とも思われます。

 もう一筋の南の流れも、やはり庭の南側を区切る斜面の樹林の裾に設けられています。落ち葉が降り積もってわかりにくくなっていますが、これも流れの縁を黒朴石で縁取っています。ここも斜面の下にありますので湧水を流すためとも思われますが、同時に斜面を流れ落ちる雨水もこの流れに集めて、池に流し入れる役割もあったのではないかと思われます。

 

 高低差のある庭では、雨水の排水計画がなにより重要になりますので、こうした斜面の下に排水溝を設けることは欠かすことのできない設備です。その排水溝を庭園的に修景して流れとし、園路や植栽地に泥水があふれ出るのを防いでいたものと考えられるのです。

 

 こうしてこの庭の三本の水路(流れ)を見て来ますと、中央を流れる堀のような造りにもそれなりの意味があるように思われます。これは推測になりますが、普通に考えれば中央の流れこそ本来庭園的な演出が凝らされてもいいように思われますが、昔の天龍寺の湧水の水量が多かった時代には、上の池の水位の調節や大雨時の水位調節で、時に大量の水を流すことがあったのかもしれません。そうした際には、庭園的に見ばえのする浅い流れでは排水しきれないために、あえて水堀状の流れにしたとも考えられます。そしてそれを補うように、北と南の排水路を庭園的に造ったのではないでしょうか。

 

 少し深読みが過ぎるのかもしれませんが、造られた形には必ずと言っていいほど意味があるはずです。この庭の中心的な景となるはずの中央を流れる水路が、なぜ庭園としては面白みの少ない掘割のような形に造られたのか、私なりの解釈を記してみましたが、本当はどうだったのでしょうか。

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2020年

3月

08日

<消えた渋谷川と街と庭園―33

新宿御苑 ⑱

 

□水路(流れ)・日本庭園 (1)

 

 上の池の橋を北岸に渡り、池沿いの園路をたどって再び東岸にまわると、池から流れ出る水路があり、そこに木橋がかかっている景色が目に留まりました。橋のたもとにはヤナギが植えられていて、ちょっと風情のある小景です。

 

 水と橋と柳とは三題噺のようですが、これに美人を配して構成すれば、浮世絵などにもみられる昔からの典型的な水辺景観になりそうです。

さっそくそちらへ行ってみます。

 水路沿いをたどりますと、途中に堰が設けられているのに気がつきました。堰板の間からは水がしたたり落ちていますが、上の池の水位はこの堰で調整しているようです。堰板のわずかな隙間から水が流れ出しているのも、計算された水量なのかもしれません。そしてここから流れとなりますが、流れといっても水は流れるともなく静かに動いていて、おもしろ味みに欠け、また特に流れを庭園的に演出するような場面も見られず、護岸の玉石積みと相まって、水堀あるいは水路という感じになっています。

 水路はそれでも、ときに狭まってそこに橋がかけられ、またときには広がって池となって変化を見せて続いています。そして園路も二筋になり、また三筋になって流れにたわむれるように続いていて、このあたりの水路と園路の造りかたは庭園的に、なかなか工夫がこらされているように思われます。

 

 またこのあたりは、北側と南側とが共に常緑樹に落葉樹が混じった樹林に囲まれていて、広がりのある上の池まわりと比べると、視界が狭められ、絞りこまれたような空間になっています。つまり次の広い池のある庭園に場面を転換するためのつなぎの空間になるのでしょう。それでもこの水路に沿って東西方向に細長く延びている空間には、多くのモミジが植えられていて、春の新芽時や秋の紅葉の時期には、カメラを構えた人たちで混雑する庭園になっています。

 

 

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>>消えた渋谷川と街と庭園ー34 新宿御苑 ⑲

2020年

2月

16日

<消えた渋谷川と街と庭園―32>

新宿御苑 ⑰

 

□上の池・日本庭園 (2)

 

 園路をたどって池の南岸に廻り北岸を眺めますと、正面の小高い小丘上に四阿が建ち、左手には中島のマツと燈籠とがあって和風庭園らしさを印象付けています。背後の大木を交えた丈の高い樹林も迫力があり、新宿の高層ビルも眼に入らないため、庭園の景観としては今ではこちらからの景観の方が落ち着いていていいのかもしれません。

 

 ところで、この上の池の広い水面を見ますと、渋谷川の水源といわれる天龍寺の湧水に近いとはいえ、これだけの水面を持つ池を造ることを可能にしたのは、相当な湧水量があったからではないかと思われます。また水源となった湧水は、天龍寺以外にも存在していたのではないでしょうか。台地上の浅い谷地形ではありますが、記録に残っていない湧水が他にもあったからこそ、明治の庭園改修時にこれだけの水をためることができたようにおもわれるのです。

 さて、池の南岸からは中島にかけられた二本の橋を渡って北岸に戻る形になりますが、その際に気が付いたのは、橋の左右で全く異なる景色が造られていることです。橋の左手(西)側は水面も狭く、池の岸辺を木々の枝葉が覆い人を近づけない造りになっています。自然風といえるのかもしれませんが、この辺りも玉藻池の池周りと似ているようです。小さな中島も、数本の小松が植栽されているだけで、至極あっさりとした景観です。

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