街歩き 庭めぐり

<はじめに>

街歩きは、今や年齢に関わりなく、多くの人の楽しみとなっています。人それぞれの興味や趣味の違いによって、街の選び方、ルートの選定も多様多彩になるものです。

このブログでは、ガーデンデザイナーとしての私が、街歩きの中で見つけた、面白いもの、きれいなもの、不思議なもの、すごいもの等々をご紹介するとともに、東京に残る、江戸や明治・大正・昭和といった近代に造られた庭をめぐり、その魅力や歴史や見所を少しずつご紹介していきたいと思っています。

 

<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

甘泉公園 江戸の大名庭園にさかのぼる歴史を持つ庭園

大隈庭園 明治期の特色を残す庭園

 

<神田川沿いの街 目白台の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

新江戸川公園

芭蕉庵

<神田川沿いの街 関口台の街と庭園>

関口台町 

椿山荘庭園

<白金台の街と庭園>

池田山

池田山公園

白金台の裏道・小道

八芳園庭園

桑原坂界隈

シェラトン都ホテル東京の庭園

<消えた渋谷川と街と庭園>

新宿内藤町

新宿御苑

<お客様の街で見つけた風景>

2021年

11月

05日

<消えた渋谷川と街と庭園ー43>

新宿御苑 ㉘

 

□下の池・イギリス風景式庭園(2)

 

 下の池をめぐる園路を、南岸から東岸にたどっていきますと、園路の両端に擬木でつくられた低い橋の欄干があらわれました。しかし橋とはいえ園路の幅員も広いままですし、橋の部分の舗装が変わっているわけでもなく、この欄干がなければまず橋とは気がつかないでしょう。こうした園路の造りは、苑内のもっとも外側を周回する園路が、馬車の通行を想定していたためではないかと思われます。 

 

 橋に近づくと、すぐ下で池の水面が堰き止められています。どうやらここは堰からあふれた池水が流れ出る池尻であり、旧渋谷川の苑内最下流のようです。堰は御苑の定番ともいえる黒朴石と根府川石で築かれていて、そこからあふれた水は流れとなって橋(園路)の下をくぐり、やがて樹林の中をわずかに流れた後、境界の塀のところで地下の暗渠に流れ落ち苑外に流れ出ています。

 

 ところでこの橋の欄干のことですが、日本で初めて設置された「擬木」でつくられた欄干ということで、大変貴重なものといわれています。橋のそばに立つ説明版に明治38年(1905)に擬木の欄干をフランスから購入し、それを組み立てるために3人のフランス人がついてきて現場で組み立てた。と記されています。

 

 この明治38年という年は、明治35年から始まって39年の竣工に至る御苑の大改修工事の最中であり、これから仕上げにかかろうかという時期に当たっています。

 

 擬木とは、セメントや現在ではプラスチックを材料にして樹木の木肌や枝、切り口などまでリアルに再現したもので、公園や観光地などで広く使われている造園資材です(御苑でも既成の量産品が使われていますが)その初めての擬木が、この欄干なのです。

 

 この擬木については、2007年に書いた文章がありますのでそれを引用します。「欄干は長さ3mほど、高さ60㎝内外の小さなもので、モルタル擬木と思われるが、細流の護岸から橋の側面にかけて組まれたクロボクの上に乗せられている。欄干の太い親柱からは、根とも枝とも見えるものが橋を縁取るように伸び、さらに親柱からの枝が絡まるような形をなして欄干を構成している。親柱の枯れた根株の表現も枝の裂け折れた状態もきわめて写実的で、造形としてもすぐれた表現と言えるだろう。」

 

 子どものころからそばを通っていても気が付かなかったのですが、説明版が立ち、初めて意識して見たのが2007年だったのだと思います。しばらくぶりに見た2020年の今、傷んだ部分はモルタルで補修してありますが、改めて見直してみても擬木としての表現のすばらしさを感じます。

 

 この後日本の擬木について少し調べてみましたが、やはりフランスは技術的に進んでいたようで、フランスの技術を学んで発達し、昭和初期には松村重(じゅう)という、擬木・擬岩づくりの名人とよばれた人が出ています。ちなみに松村氏のきわめて写実的な擬木・擬岩作品は、東京広尾にある有栖川宮記念公園に現存しています。

 

 さて、御苑の擬木の欄干ですが、これは基本計画を作成したフランスのデザイナーであるマルチネーが、あえてイギリス風景式庭園の設計に取り入れたのではないかと思われます。しかしわざわざフランスから輸入して、3人も職人が来て組み立てたという、庭園資材としても唯一の輸入品であり、目玉ともなるはずのものが、なぜイギリス風景式庭園で最も人が通行する中央部ではなく、庭園のはずれともいえる池尻の細流にかかる橋に設置されたのでしょうか、そのことが私にはなんとも不思議に思われるのです。

 

 

<<消えた渋谷川と街と庭園―42 新宿御苑 ㉗

2021年

10月

04日

<消えた渋谷川と街と庭園ー42>

新宿御苑 ㉗

 

□下の池・イギリス風景式庭園(1)

 旧渋谷川の流れに沿うように作られた御苑の池も、いよいよ最も下流の下の池になります。その下の池と上流の中の池とをつなぐ水路をまず見ておきたいと思います。中の池の水は、一定の水位を超えると、両方の池を仕切っている土手の園路の下をくぐって下の池に流れ落ちるように水路が設けられています。

 しかし水路とは言っても普段はいつも水が流れていない状態で、底のコンクリートもあらわな枯れ流れとなっています。これは両方の池の水位の落差が大きいために、オーバーフローする水が少ない時に必然的に起こってしまう状態で、それでも水路の護岸は、黒朴石や根府川石でそれなりに造りこまれていて、単なる水路というよりも、自然風の流れを表しているように思えます。

 

 この流れは、園路から見下ろすことができますので、水の流れていないことが多いために見ばえを考慮しているのかもしれませんが、それよりもこの流れがつくられた当時は、水源の湧水も豊かに湧き出ていて、中の池からのオーバフローも多く、常に水が流れていたのではないかと思われます。そうでなければ、あえてここまでの流れの演出をする必要がないのですから・・・。

 

 

 さて下の池ですが、これまで見てきました上の池や旧御涼亭のある日本庭園、そして中の池と比べますと、水面が狭いためか、一段と水面が低いためか、また池の縁まで樹林が迫り水面におおいかぶさっているせいか、あるいはそのすべてなのかもしれませんが、やや陰気な印象が拭えません。ことに同じイギリス風景式庭園である中の池とは、水面の大と小、視線の開放的であることとと閉鎖的なこと、そして全体の印象の明と暗というようにことごとく対照的な感じがします。

 

 下の池は、こうしたどちらかといえばマイナスのイメージを持っていて、そのためか池の周りに人が集まることも少ないようですが、多様な景観をもつ総合庭園としては、そうした二つの対照的な景観をもつことは必要であったのではないかと思われます。

 

 それは人の心のうごきというか、はたらきに伴うもので、一つは気持ちが外に向かっている時には、明るく開放的な景観を好み、スポーツなどのように身体を動かすことをしたいときに求める空間で、もう一つは気持ちが内に向かって考え事などをする時は、やや閉ざされた明るさを抑えた景観を好み、静かに散策などをする空間を求めるものではないでしょうか。人はその両面をもっていて、時に応じてそのいずれかが表面に現れるものと考えられます。

 

 こうしたことは私の勝手な深読みの解釈かもしれませんが、イギリス風景式庭園のなかに、池を中心に二つの対照的な景観イメージをもつ空間を意図的に設けたとするならば、人と庭園の視覚的・心理的な関係にまで配慮したアンリ・マルチネーと福羽逸人がつくりあげた庭園計画の奥深さを改めて感じるのです。

 

 

<<消えた渋谷川と街と庭園ー4Ⅰ 新宿御苑 ㉖

>>消えた渋谷川と街と庭園ー43 新宿御苑 ㉘

 

  

 

 

 

2021年

7月

04日

<消えた渋谷川と街と庭園ー41>

新宿御苑 ㉖

 

□中の池・イギリス風景式庭園 (3)

 池の南岸を歩きながら、北岸の景色を眺めていきますと、所どころで視界が奥までとどき、芝生の広がりを望むことができるところがあります。このような水面と芝生とが一体となって広がるひろびろとした景観こそが、イギリス風景式庭園の特徴の一つなのだと思われますが、池の周辺では木々が大きく成長したためか、やや視界が閉ざされている印象を受けます。そうした印象は、中の池と下の池を仕切る池の東岸から中の池を眺めますと、よりはっきりとわかります。

 これは中の池の東端から西側を映した写真です。左手の南岸は、右の北岸以上に丈の高い木々に水際まで覆われています。その樹林の上に新宿の高層ビルが頭をのぞかせ水面に映る姿は、都会の中の美しい景色といえるでしょうが、木々の豊かさは良いとしても、樹林によって視線が遮られて広がりという面では本来の特徴が失われつつあるのではないかと思われます。

 

 しかし、芝生の連なりが地形のうねりをそのまま見せるイギリスの丘陵地のような景観も、この中の池の周辺でこそ見たい気もします。そんなことを思うのも、やはり昔の写真などを見たりするためかもしれません。

続きを読む

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

土・日曜日、祝祭日

お問い合わせ

E-mail:

kazushige-sunaga@soukisya.co.jp