街歩き 庭めぐり

<はじめに>

街歩きは、今や年齢に関わりなく、多くの人の楽しみとなっています。人それぞれの興味や趣味の違いによって、街の選び方、ルートの選定も多様多彩になるものです。

このブログでは、ガーデンデザイナーとしての私が、街歩きの中で見つけた、面白いもの、きれいなもの、不思議なもの、すごいもの等々をご紹介するとともに、東京に残る、江戸や明治・大正・昭和といった近代に造られた庭をめぐり、その魅力や歴史や見所を少しずつご紹介していきたいと思っています。

 

<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

甘泉公園 江戸の大名庭園にさかのぼる歴史を持つ庭園

大隈庭園 明治期の特色を残す庭園

 

<神田川沿いの街 目白台の街と庭園>

神田川沿いの街歩き

新江戸川公園

芭蕉庵

<神田川沿いの街 関口台の街と庭園>

関口台町 

椿山荘庭園

<白金台の街と庭園>

池田山

池田山公園

白金台の裏道・小道

八芳園庭園

桑原坂界隈

シェラトン都ホテル東京の庭園

<消えた渋谷川と街と庭園>

新宿内藤町

新宿御苑

<お客様の街で見つけた風景>

2020年

11月

04日

<消えた渋谷川と街と庭園ー35>

新宿御苑 ⑳

 

□日本庭園 (3)

 

 流れはやがて広い池につながっていきます。流れの庭の、南北に視界が狭められた空間から、歩みを進めるににつれて空間が広がり、絞られた視界が少しづつ解放されて、次の庭の異なる景観が展開する手法です。そこでは池の広がりだけではなく、旧渋谷川の北岸の斜面全体に芝生が広がっていて、そのところどころに樹高の低い傘型に樹冠を広げたタギョウショウ(多行松)が植栽されている明るい庭になっています

 この特異な樹形を持つタギョウショウは、「アカマツの変種であり雌雄同株で、樹形は株立ち状根元近くから多数の幹を分ち樹冠は倒円錐形を呈する。樹皮、葉形はアカマツと同じ。」(『樹木ガイドブック』上原敬二)ですが、公園や庭園でもあまり見かけない樹木です。

 

 御苑ではこの日本庭園と、イギリス風景式庭園の、中の池に面した斜面の芝生内に植栽されていますが、特徴のある樹形ですが和風にも洋風にも調和する印象から、選ばれているのではないかと思われます。

 

 そうした植栽の選択や、芝生の中をめぐる曲線の園路からは、この庭は日本庭園とはいえ洋風も加味された明治期の近代和風庭園と考えられますが、この庭のようにタギョウショウを多く植栽した庭は、東京ではほとんど残っていないのではないでしょうか。

 そんな中で 明治期のタギョウショウを主とした庭の例として、写真だけですが残されていて、御苑の庭との類似性を感じさせるのは、目白台にあった旧細川公爵家本邸(現目白台運動公園)の庭園でしょう。

 明治期の庭園が紹介されている『名園五十種』(明治43年刊)に収められている写真は、「洋館と書院の前の一部を飾る広庭」ということで、洋風にも和風にも調和する庭が求められたものと思われます。広さは、およそ二百メートル四方もあるという芝庭は、奥から手前に緩やかな傾斜を見せ、奥にタギョウショウ、手前に低木の半円形の刈り込みと、御苑の庭と共通する要素と景観を見せています。

 

 『名園五十種』では、このあたりの説明は「東京名物の禿松(かむろまつ)を饅頭形に造(か)り込んで・・・高さは七八尺から低いのでも人の丈程のが位置よく玆所彼所(ここかしこ)に植はってその間を白砂を敷いた小径(こみち)が縦横(たてよこ)に屈曲して付けてある、又径(こみち)の傍らには霧島躑躅(きりしまつつじ)や丁香(ちょうじ)を同じ姿に刈り込んだのが散在して」とあり、タギョウショウは禿松とよばれていて、東京名物とされていたようです。

 

 この禿松という名称は、手元にある上原氏の『樹木ガイドブック』にも、飯島亮・安蒜俊比古氏の『庭木と緑化樹』にもタギョウショウの別名としては載っていませんが、禿は遊郭で遊女に使われる女の子のことを言い、またその女の子が髪をおかっぱにしていたことから、樹冠の形をおかっぱの髪型に見立ててよんだ俗称ではないかと思われます。しかしその禿松が、東京名物と言われていたことは、全く知りませんでした。和洋折衷式の近代和風庭園が盛んに造られた明治という時期と、東京という土地に限って多く使われていたのかもしれません。

 

 ところで細川公爵邸の庭園ときわめて似ている庭園景観については、両方とも宮内省内匠寮の設計によるためではないかと思われます。細川公爵家本邸の建築の完成は、洋館が明治25年(1892)、和館が翌26(1893)年の完成で、庭園もほぼ同じころと考えられます。洋館の設計が片山東熊、和館は木子清敬と共に宮内省内匠寮の技師でした。おそらくこの時には庭園も内匠寮によって設計されたのではないでしょうか。一方新宿御苑は、完成が明治39(1906)年で、基本設計はアンリ・マルチネーですが、細部の、ことに日本庭園の部分については福羽逸人をはじめとする内匠寮の技師の設計によるものです。つまりこうした作庭手法は、宮内省内匠寮の作風とも言えるのかもしれません。

 

図版出典:『名園五十種』近藤正一 博文館 1910年(明治43年)

引用文献: 同上書

     『樹木ガイドブック』上原敬二 加島書店 1990年

参考文献:『新宿御苑』金井利彦 郷学舎 1980年

 

<<消えた渋谷川と街と庭園ー34 新宿御苑⑲

2020年

3月

21日

<消えた渋谷川と街と庭園―34>

新宿御苑 ⑲

 

□水路(流れ)・日本庭園 (2)

 この庭は、東西に細長い空間の中央を水路(流れ)が流れていますが、その他にも二筋の流れが見られます。北側の流れは、樹林の茂るゆるやかな斜面が下って平坦な芝生に接する位置にあって、浅い流れながら黒朴石や玉石で縁取られた庭園的な造りになっています。

 

 流れの一部は、水の見られない枯流れのようになっていますが、わずかに水の流れているところもありますので、右の写真に見るように少ない量ながら湧水があるようです。この流れのある位置は、渋谷川の旧流路の川岸の下部に当たりますので、地形的にはこうした湧水が出るのも当然とも思われます。

 もう一筋の南の流れも、やはり庭の南側を区切る斜面の樹林の裾に設けられています。落ち葉が降り積もってわかりにくくなっていますが、これも流れの縁を黒朴石で縁取っています。ここも斜面の下にありますので湧水を流すためとも思われますが、同時に斜面を流れ落ちる雨水もこの流れに集めて、池に流し入れる役割もあったのではないかと思われます。

 

 高低差のある庭では、雨水の排水計画がなにより重要になりますので、こうした斜面の下に排水溝を設けることは欠かすことのできない設備です。その排水溝を庭園的に修景して流れとし、園路や植栽地に泥水があふれ出るのを防いでいたものと考えられるのです。

 

 こうしてこの庭の三本の水路(流れ)を見て来ますと、中央を流れる堀のような造りにもそれなりの意味があるように思われます。これは推測になりますが、普通に考えれば中央の流れこそ本来庭園的な演出が凝らされてもいいように思われますが、昔の天龍寺の湧水の水量が多かった時代には、上の池の水位の調節や大雨時の水位調節で、時に大量の水を流すことがあったのかもしれません。そうした際には、庭園的に見ばえのする浅い流れでは排水しきれないために、あえて水堀状の流れにしたとも考えられます。そしてそれを補うように、北と南の排水路を庭園的に造ったのではないでしょうか。

 

 少し深読みが過ぎるのかもしれませんが、造られた形には必ずと言っていいほど意味があるはずです。この庭の中心的な景となるはずの中央を流れる水路が、なぜ庭園としては面白みの少ない掘割のような形に造られたのか、私なりの解釈を記してみましたが、本当はどうだったのでしょうか。

続きを読む

2020年

3月

08日

<消えた渋谷川と街と庭園―33

新宿御苑 ⑱

 

□水路(流れ)・日本庭園 (1)

 

 上の池の橋を北岸に渡り、池沿いの園路をたどって再び東岸にまわると、池から流れ出る水路があり、そこに木橋がかかっている景色が目に留まりました。橋のたもとにはヤナギが植えられていて、ちょっと風情のある小景です。

 

 水と橋と柳とは三題噺のようですが、これに美人を配して構成すれば、浮世絵などにもみられる昔からの典型的な水辺景観になりそうです。

さっそくそちらへ行ってみます。

 水路沿いをたどりますと、途中に堰が設けられているのに気がつきました。堰板の間からは水がしたたり落ちていますが、上の池の水位はこの堰で調整しているようです。堰板のわずかな隙間から水が流れ出しているのも、計算された水量なのかもしれません。そしてここから流れとなりますが、流れといっても水は流れるともなく静かに動いていて、おもしろ味みに欠け、また特に流れを庭園的に演出するような場面も見られず、護岸の玉石積みと相まって、水堀あるいは水路という感じになっています。

 水路はそれでも、ときに狭まってそこに橋がかけられ、またときには広がって池となって変化を見せて続いています。そして園路も二筋になり、また三筋になって流れにたわむれるように続いていて、このあたりの水路と園路の造りかたは庭園的に、なかなか工夫がこらされているように思われます。

 

 またこのあたりは、北側と南側とが共に常緑樹に落葉樹が混じった樹林に囲まれていて、広がりのある上の池まわりと比べると、視界が狭められ、絞りこまれたような空間になっています。つまり次の広い池のある庭園に場面を転換するためのつなぎの空間になるのでしょう。それでもこの水路に沿って東西方向に細長く延びている空間には、多くのモミジが植えられていて、春の新芽時や秋の紅葉の時期には、カメラを構えた人たちで混雑する庭園になっています。

 

 

<<消えた渋谷川と街と庭園―32 新宿御苑 ⑰

>>消えた渋谷川と街と庭園ー34 新宿御苑 ⑲

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

土・日曜日、祝祭日

お問い合わせ