<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園-5>

江戸の大名庭園にさかのぼる歴史をもつ庭園

甘泉園公園④

□ 江戸から明治へ

 甘泉園の庭園は、現在甘泉園公園といわれ、新宿区の管理する公園になっています。しかし、公園となる以前の歴史をたどれば、江戸時代の大名庭園にさかのぼる由緒をもつ庭でもあるのです。

 この地は、明和年間(1764~71)に、徳川家御三卿の一つ清水家の下屋敷になったと伝えられています。江戸時代の庭の様子を知る資料は見つかっていませんが、明治19年(1886)に作成された「東京実測図」には、清水邸と記してあるところから、維新後も清水家の所有であったことがわかります。この地図では屋敷の建物と池とが示されていて、庭は見下ろす形となると共に、目白台の崖の緑を借景として取り入れた北庭であったようです。

 池の形はひょうたん形で、大きさや形は現在と比べても大きく変わってはいませんが、中島が見られないことと、現在のように池が2つに仕切られていないように見える点が異なっています。

 明治30年頃には、清水家の手から離れ、相馬子爵家の所有になりました。明治42年(1910)の「戸塚・落合の地形図」を見ますと、池に中島が描かれていると共に、池が2つに仕切られていて、現在見るような形態に変化しているのがわかります。池は更に低いところにもう1つ描かれていて、都合3つ見られます。

 また、台地上にあった大きな建物はなくなり、小規模の建物に変わっています。清水邸時代の建物を取り壊し、庭も改修した後と思われますが、建物の規模が小さいので本邸ではなく別邸であったのでしょう。

 庭は、池が上下2段の池となり、上段の池に中島が設けられ、ほぼ現在見る形がこの時期できたものと思われます。中島に架かる石橋もこの時設置されたのでしょう。

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

土・日曜日、祝祭日

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