<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園-13>

明治期の特色を残す庭園

大隈庭園③

□ 元 大隈庭園(明治20年以降)

 明治16年の地図に示されていた別邸時代の大隈邸の庭園を「原 大隈庭園」と呼ぶとすれば、明治20年に作庭されたと思われる大隈庭園を「元 大隈庭園」と仮称します。「元 大隈庭園」については、明治23年に吉田進氏の訪問記、続いて明治26年の小澤圭次郎氏の訪問記が知られています。小澤氏の「早稲田遊覧記」(『日本園芸会雑誌』明治26年11月)には、広々とした芝生の中に曲線を描いて延びる園路について記されていますが、印象が強かったのかもしれません。遊覧記には図面とスケッチも添付されていて、庭園の姿もある程度うかがうことができます。

図-2〈早稲田大隈伯庭園見取り図〉 クリックで拡大されます
図-2〈早稲田大隈伯庭園見取り図〉 クリックで拡大されます

 見取図は、2枚の庭園のスケッチと、庭園の図面で構成されています。まず図面ですが、図の左が流れの上流部、右が下流部ということになります。明治20年に改修された庭園は、「原 大隈庭園」の大小の池が連なった形態から、明らかに幅の狭い流れの水景へと変化しているのがわかります。また、流れ全体の形態がいささか普通とは異なっていることにも気がつきます。普通とは異なっている形態とは、流れの最上流部が、西と東という正反対の方向から流れ出してT字形に合流し、北方向へ流路を変えるという形をなしている点です。図面ではどちらが主たる流れかは判然としませんが、普通は合流部はY字形になることを思うと、その異形さがわかります。

 

 さらに、流れの最下流部も通常ではありえない形をしています。流末は真反対の方向に2本に分岐しており、ここでもT字形をなしているのです。

 

 全体の構成としては、建物は南東に向いており庭園は北東、南東、南西と3方向にあって建物を囲む形となっています。敷地の外周部には、築山が築かれ、また相当の樹高をもつ樹林が連続していて、背景をなしています。流れは築山の裾を流れるように、また広い芝生を縁取るように流れていて、建物まわりは明るい芝生が広がる和洋折衷式の「芝庭」であったことがわかります。

 

 さて上段のスケッチ①ですが、下の図面で①の位置から見た景観です。画面右手からの流れと、奥の層塔付近から流れてきた水とがT字形に落ち合い、左手に流れていく様子が描かれています。右下の飛石は、砂利敷の中に打たれていて、これは河原の景を表現したものです。左下には園路と橋、園路沿いには、円く刈り込まれたツツジが点々と植栽されています。奥に園路を歩く人物が描かれていますが、この人物の大きさで庭の広さや樹木の高さなどをイメージできるのは、ありがたい配慮です。

 

 スケッチ②は、流れの最下流部を描いています。左手奥には木立に囲まれた茅葺の茶室が見え、画面右手から流れてきた流れは、中央の松の大木の下で、手前と奥とに向って分流している状態を描いています。このように、2枚のスケッチが流れの合流部や分流部を描いているのは、小澤氏もこの特異な形状が気になっていたのかもしれません。

 

 大隈庭園の流れの形態については、図-1の地図では、水源からと思われる3本の流れがあったわけですが、東、南、西のうちの東と西とが残されたとすれば、池を流れに改造した時に、合流点がT字形になったというのは、水量が不足していなければ、理解しやすい話でしょう。

 

 しかし、下流部の形態については、元の池の護岸のラインをそのまま活かしたのかもしれない、という推定はできるものの、なぜなのか、という点については、わからないというしかありません。流れの水の排水という機能面から考えても、2ヶ所から敷地外に排水する必然性は考えられないのです。

 

 

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