<神田川沿いの街 早稲田の街と庭園-20>

明治期の特色を残す庭園

大隈庭園⑩

□ 現代の大隈庭園

 大隈庭園の、明治~大正~昭和をたどってきましたが、今回は平成の現代です。昭和40年代と比較すると、庭園を取り巻く環境がこの間に大きく変わっているのには驚くほどです。

 

 大隈庭園7回目に掲載した図-12と比較するとわかりやすいですが、最も大きな変化は大隈邸以来、形は変わっても、庭園を眺め、また庭園からも眺められる存在であった大隈会館の消失です。大隈会館は昭和25年の竣工ですから設備は古く、また手狭になっていたのだろうとは思いますが、庭園ときわめて密接な関係を持ち、また庭園の空間構成上からも、必要欠くべからざる存在であった建物であったと思います。

 

 その建物が取り壊され、高層の20号棟(本部事務棟・新大隈会館が入っている)が平成6年(1994)3月に竣工し、それと同時に、庭園と新目白通りの間にこれも高層のコンベンション棟(リーガロイヤルホテル)ができたことで、景観的にも大きな変化をもたらしました。

図-19(クリックで拡大されます)
図-19(クリックで拡大されます)

 旧大隈会館の消失は、建物と庭園との相互の関係性の消滅であり、建物と庭園との緊張感のある空間的バランスが崩れ去ったことを意味していたのでしょう。それは旧大隈会館がなくなった後の庭園景観に、間延びしたような印象を受けることでもわかります。それは、私が最初に大隈庭園を訪れた時の印象でもありました。

図-20
図-20
図-21
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 しかし、そうした変化は必ずしも大隈庭園だけではありません。東京の多くの庭園が背負っている宿命といえるのかもしれません。同様の変化は、すぐ近くにある椿山荘の庭園や白金の八芳園の庭園などの、民間で保持している庭園はもちろん、都や区で管理している歴史的な庭園であっても、主要な建物が失われたままである例は多く見られるものです。

 

 それらの庭園も、本来の建物と共に在る形から比べると、おそらく庭園としての空間構成にバランスの崩れが見られたはずです。だが、そうであっても、なおかつ私たちを魅了する造形や景観や歴史を感じさせる要素が存在します。

 

 大隈庭園が、戦災で壊滅的な被害を受けながらも、「芝生と流れ」という明治期の庭園らしさを、修復し残されてきたことは感謝すべきでしょう。庭園を訪れ、眼の前の庭の姿を手がかりに、私たちはかつての名園の姿を思い浮かべる歴史の中の庭めぐりを楽しむことができるのですから。

 

 

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