松聲閣は細川家の学問所だったという建物ですが、現在は老朽化したため使われていないということです。しかし、建物がこのような形だけであっつても残っているのは、庭園を理解するためには極めて重要なことです。それは、最も重要な視点の位置を示してくれるからでありますし、また庭園の空間構成も建物の位置から見た配置計画に基づいて行われるからです。
ところで、この松聲閣の座敷の前に、少し変わった沓脱石があります。一般的に沓脱石は、自然石であれ、加工した切石であれ一個の石を利用するのですが、ここにあるのは、切石と玉石とを組み合わせて沓脱石としたものです。この様な沓脱石は、あまり見かけないのではないでしょうか。しかし、格式張らない砕けた感じがあって面白いと思います。
珍しい沓脱石とは言っても、他にまったく例がないわけではありません。東京では思い浮かびませんが、京都には、七代目小川治兵衛の作庭した清流亭や、碧雲荘にこうした組合せの沓脱石があります。沓脱石もいつも同じ御影石というのも面白みがありません。天下の植治ですら、時にはこうした遊び感覚のデザインを行っているのですから、
現代の私たちも、もっと洒落っ気とか遊び心という感覚で使ってみるといいのではないでしょうか。
松聲閣付近は、公園の中で最も庭園的要素が残っている部分です。園路も、延段や飛び石が連なり、細流には、小さな滝や沢飛びなども設けられ、変化に富んだ庭となっています。ここは、ガイドブックなどでは遣水の庭と言われていますが、遣水と呼ばれるところはそうはありません。では、遣水と、流れとはどこが違うのでしょうか。
ミニ知識
遣水(やりみず)
寝殿造り系庭園の中に導き入れられた人工の細流。特に高温多湿な夏の暮らしを凉しく演出するために、水深の浅い湾曲した流れを邸内につくり、視覚とともにせせらぐ音も楽しむよう工夫が加えられた。平安時代後期に書かれた「作庭記」には、遣水についての詳細な注意事項が書き留められている。(「国史大辞典」)
確かに『作庭記』(田村剛1964)を見てみると、水流の方位や勾配、石を立てる場所、石の使い方など実に細かいところまで書かれていますが、流れとか細流との違いなどは、書かれてはいません。しかしそれは当たり前で、作庭記の書かれた平安時代の寝殿造りの庭では、流れは全て遣水なのですから。
つまり、寝殿造り系庭園の遣水の形態と機能を持つ流れを、遣水と称するということなのでしょうか。具体的には、水深の浅い湾曲した流路を持ち、(場合によっては曲水の宴が行われるような)そして、せせらぎの音が楽しめる流れと考えれば良いのでしょうか。今はとりあえずそのように解釈しておくことにしましょう。