<神田川沿いの街 目白台の街と庭園-6>

新江戸川公園③

□ 女性的な造形感覚―小さな滝と遣水



 新江戸川公園の遣水の水源は、流れをたどってさかのぼると、隣の和敬塾へとつながっていて、和敬塾側の湧水が水源となっているのがわかります。(もっとも、昔は同じ細川家の敷地だったわけですが)遣水は斜面を流れ下る間に二筋に別れ、一筋は途中で小さな滝となって松聲閣の前を流れて池に注ぎますが、もう一筋はしばらく斜面の中腹を流れたあと、池の別の入り江の奥で滝となって流れ込みます。いずれも小さな滝で、これだけの広さを持ち、高低差のある庭でありながら、落差のある大きな滝が作られなかったのはなぜだったのでしょう。

 

 普通は、平坦な土地に作られる庭園でも、あえて築山を築いて大きな滝を作ることが多いことを考えると、水源とその高さ、築山を作る必要もない高低差、大きな滝でも違和感のない広い池等条件のそろったこの庭で何故作られなかったのか、却って不思議に思われます。

その代わりに、小さな滝と遣水という造形で作られた庭は、大名庭園によく見られる豪快さや、派手さ、というよりも柔らかさや、おとなしさ、落ち着き、といった印象を感じます。それは男性的であるよりは女性的な造形といっても良いでしょう。

 

 そうした印象を持っていた時に、『歩く・観る・学ぶ・江戸の大名屋敷』(洋泉社)の新江戸川公園の解説の中に、次のような文章を見つけました。「ここには10代斉護(なりもり)の長男・慶前(よしちか)の未亡人・鳳台院(ほうだいいん)の御殿が設けられていた。慶前は、嘉永元年(1848)、家督を継ぐ前に亡くなっており鳳台院が居住したのはこれ以降と考えられる。」(原史彦氏)というものです。

 

 この庭園が、江戸時代も末に近い嘉永年間に作庭されていたとしたら、鳳台院という女性のために作られた庭である可能性も考えられます。そうであるとすれば、先に感じた女性的な造形感覚も、理解することができます。

 

 現在では、江戸時代末期に庭園があったことは、明治初期の地図で確認することはできますが、年代まではわかりません。しかし、この庭園が、若くして夫を亡くした薄幸の姫君のために作られた庭であった可能性もないわけではないのです。そんなロマンを想像してみたくなりますが、どうでしょう。

 

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

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