大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災によって、細川家の本邸の洋館と和館とは、ともに倒壊するという大きな被害を受けました。その後しばらくは仮住まいされていたのかと思われますが、本邸となる建物の建設は、昭和7年に設計が始まり、竣工したのは昭和11年のことでした。
この時に建てられた建物が、現在和敬塾の本館になっている建物です。新しい本邸は、元の本邸と場所が変わっていて、昭和4年修正測図の地形図では、元の洋館と和館のあとは、空白になっています。
震災では、台地下の建物も無事ではなかったと思われます。それは、昭和4年の地形図を見ると、以前の建物よりさらに小さくなっているからです。やはり、被害を受けて建て直したか、あるいは他の建物を移築したものと思われます。この建物が、細川家の元学問所であった松聲閣を移築したものである可能性は高いと思われます。
そのように思われるのには理由があります。それは、震災で倒壊した和館の一部は、大正14年に杉並区の真盛寺に、客殿と庫裏として移築され、また世田谷の清龍寺にも移築されていることが知られているからです。倒壊した建物の処分、あるいは整理がこの時期に行われたとすれば、松聲閣の移築も同時に行われたと考えることができるでしょう。
松聲閣が移築されたのが大正14年とすると、それまでの建物とは当然規模や間取りが異なりますので、新しい建物の間取りに合わせて庭園の改修も行われたと思われます。しかし地図からは、その形を伺うことはできません。