<神田川沿いの街 目白台の街と庭園-17>

芭蕉庵③

□ 芭蕉庵をとりまく景観と庭・江戸時代

 目白台の芭蕉庵とその周辺は、東京の中でも江戸時代の景観とさほど大きくかけ離れていないように思えるのですが、どうでしょうか。その理由は、目白台の崖線の連続する緑の役割が極めて大きいと思われますが、それとともに芭蕉庵の存在がなんといっても大きいのでしよう。芭蕉庵は、名所案内や名所を描いた名所図によって、江戸時代から広く知られていたところです。これまで何度も焼失しながらも、その都度再建され、建て変わって存続してきたと伝えられています。

『江戸名所図会』(復刻岩波文庫昭和42年)より (クリックで拡大されます)
『江戸名所図会』(復刻岩波文庫昭和42年)より (クリックで拡大されます)

 江戸時代の様子を伝えてくれる『江戸名所図会』(復刻岩波文庫 昭和42年)の芭蕉庵の絵には、斜面の中腹に竜隠庵(りゅうげあん、後の芭蕉庵)が描かれていて、庭には瓢箪池があり、池の中ほどには橋も小さく見ることができます。門や垣根もひなびた様子で、門の傍らには門かぶりの松もきちんと表現されています。一段高いところには芭蕉堂、こんぴら、五月雨塚(さみだれずか)も見られるなど、江戸時代の庭の姿は、そっくり現代の芭蕉庵に再現されているのです。

 

 台地の下には、曲がりくねっている神田川が流れ、駒留橋(現・駒塚橋)が掛かかっています。さらに、左手の絵には八幡宮(今はない)、水神宮(水神社)が斜面の樹林の中に見えていて、そのまま細川家の下屋敷の樹林に続いています。

 

 こうした、江戸の目白台を眺める視線で現代の椿山荘、芭蕉庵、水神社、そして新江戸川公園と続く斜面の景観を見ると、それぞれが時の流れの中で、あるものは焼失し、あるものは再建され、あるいは姿を変えるなどの変化をしていますし、さらに神田川の変貌を始め、椿山荘の高層のホテルなど、江戸時代とは同じではないにしても、それらを包み込んでいる豊かな樹林が存在しているおかげで、江戸時代の目白台の風景を偲ぶのには、じゅうぶんな景観が残されているように思われるのです。

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