<神田川沿いの街 目白台の街と庭園-19>

芭蕉庵⑤

□ 芭蕉庵の庭・明治時代

 山本松谷が、『新撰東京名所図会』で描いた関口芭蕉庵の画と、ほぼ同時代に写された写真があります。明治期の東京の庭園に関する記録として貴重な『名園五十種』(近藤正一博文館明治43年)の中の「芭蕉庵」の一文と、それに添えられた写真です。  

田中伯爵の芭蕉庵(クリックで拡大されます)
田中伯爵の芭蕉庵(クリックで拡大されます)

 写真は、芭蕉庵の門と真正面に向き合っていますので、神田川の反対側の川岸から撮影されたものと思われますが、この写真を見ると、改めて山本松谷の画が、よく実景を写し取っていることがわかります。瀟洒な門と竹垣、門かぶりの枝ぶりのよい松、門内に見える白い句碑、茅葺きの芭蕉庵、背後の竹林に至るまで、丁寧に写し、描かれているのを見ると、松谷描くところの『新撰東京名所図会』の記録的価値の高さもうなずけます。

 

 『名園五十種』は、明治期に作庭された華族、富豪、数寄者の庭園を紹介した著作ですので、江戸時代の芭蕉庵は異質のような気がしますが、おそらく芭蕉庵を邸内に抱え込んだ田中光顕によって、幕末以来荒れていた建物と、庭園とが整備されたことで紹介されたものと考えられます。そのことは、文中「庭は隅々まで能く手入れが届いて塵一つ止めぬ程に心を盡されたる清麗の園地と成ったのである」と書かれていることから推測できます。 

 

 庭園の写真はありませんが、近藤氏の文章では次のように表現されています。「樹木深く生い茂れる木の間の小径(こみち)を彼方(あなた)に出つれば一つの池ありて池には土橋が架かってその池の汀(みぎわ)の石は苔青く蒸し林泉昼極て静かに只熊笹の茂みの中を流れる渓水(たにみず)が潺湲(せんかん)として」とあって、木々の間の小道を抜けると瓢箪池があり、池には土橋が掛かっていること、池の護岸の石が苔におおわれて古寂びていること、そして庭内は静寂に包まれていて、湧水がさらさらと音を立てて熊笹の茂みの中を流れていることを記しています。

 

 こうした文章からは、湧水も水音が響くほど豊かに湧き出ていたことや、熊笹が茂っていたことなどを知ることができますが、それとともに明治時代の姿も伝えていて、現在の庭園と何が同じで、何が違うのかというような比較をすることができます。それにしても現在の庭園も、これらの資料を参考にしたのではないかと思われますが、戦災で消失した明治のころの姿をよくぞ復元してくれたものと思います。そうした復元によって、江戸の頃からの姿を今に伝えてくれる芭蕉庵の庭は、大名庭園以外に残る貴重な庭園として保存してもらいたいものです。

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