<神田川沿いの街 関口台の街と庭園-1>

関口台町①

□ 坂の町

 芭蕉庵から胸突坂を上り、目白通りへと向かいます。胸突坂は、都内でも急峻なことで有名ですが、それとともに坂の両側には、芭蕉庵、水神社をはじめ、細川家の永青文庫、和敬塾、蕉羽園、野間記念館などの多くの名所や見どころとなる施設があり、街歩きでは欠かすことのできない場所となっています。

 

 目白通りへ出ると道路の向かい側には、現代的な教会建築で知られる東京カテドラル聖マリア大聖堂が眼を引きます。隣には獨協の中学、高校があり、道路の手前には野間記念館とガーデンショップ、そして椿山荘が並んでいます。

 

 このあたりは、西の目白駅方面へは平坦な道が続きますが、それ以外の東、南、北のどちらへ向いても坂や斜面があって、下り坂となっています。南に下る胸突坂はもちろん、東の音羽の谷には目白坂と目白新坂さらに鉄砲坂があります。ところが北側は、護国寺方面に抜けている坂は少なく、薬罐坂くらいでしょうか。いずれにせよこのように坂が多いのは、関口台町が目白台地の東の端にあたっているためで、ここは坂の街といってもいいでしょう。

 

 しかし坂の街とはいえ関口一丁目は、神田川沿いの低地ですし、二丁目は椿山荘や小学校、八幡神社等であまり住宅はありません。そのため坂の街らしさを探して関口三丁目に向かいます。目白通りから獨協の脇を通って裏道に入り音羽通りの方へ行くと、途中佐藤春夫旧居跡という表示板が立っています。 旧宅は昭和60年(1985)に、郷土の和歌山県新宮市に移築されましたが、現在見る門まわりの外構は、昔のままのようです。それというのも、野口冨士男氏は『私のなかの東京』(文藝春秋・昭和53年)の中で、「その坂の中途から左へちょっと入ったところにピンク色の塀と中国風な門扉のある佐藤春夫邸があって、私は昭和八、九年ごろ雑誌編集者として訪問している。」と、自身の体験を記しているからです。つまり、このピンク色の塀と中国風な門扉とは、昔のままであるか、あるいは再現したかということですが、大谷石の下部の風化の具合を見ると、昔のままであると思えるのです。

 

 私は、佐藤春夫という文学者の作品は、短篇小説を2~3篇読んだ程度に過ぎません。その中で、隅田川の中洲に理想の街を作ろうとする『美しい町』で、建築のことにも詳しい作家であるとは思っていましたが、こうした独特のデザインや色彩を好む人であったことに驚きました。無論、建築家の感覚もあずかっていたと思いますが、施主である佐藤春夫の好みでもあったことは間違いないところでしょう。

 

 それはそれとして、旧宅は和歌山に移築されたということですが、現在の建物も門まわりの外構と、ぴたりと調和しているのも驚きます。旧宅のイメージを活かして作られたと思われますが、何やら「昭和モダン」という感じで、こうした建物のある街というのも楽しいものです。

 

 また、私は現在の建物の門まわりの独創的な造形に興味をひかれました。まず目立つのは、大谷石のアーチです。大谷石で組まれたアーチは、これも大谷石の2本の柱で支えられていますが、柱と柱の間の中央部分がスチールのたて格子の門扉になっているのです。アーチの上部は瓦が載ってやや東洋風の印象を受けますが、全体の造形や小壁のピンクや門扉のグレーといった色彩からは南ヨーロッパらしさも感じられるという、ユニークなデザインです。

 大谷石は、旧帝国ホテルに使われたように、近代の洋風建築の石材としてさまざまに利用され、建築以外にも門柱、石塀、敷石、土留、縁石等に使われています。その中では、門まわりは最も工夫を凝らしてデザインされるのですが、私の知る限り門として使われた事例としては、これまでで最もユニークなデザインであり、大谷石の使用例といえるかもしれません。

 

 

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