<神田川沿いの街 関口台の街と庭園-16>

椿山荘庭園⑫

□ 庭園の歴史―昭和・戦後その2

 西田富三郎氏の著書『東京の庭』には、今となっては貴重な、地形が改変される前の写真が納められています。撮影された年は不明ですが、写真には昭和28年(1953)に完成した本館と同時に出来たと思われる茶寮が写っていることと、昭和33年(1958)に枯死したといわれている、三重塔前にあった名木富士松が写っていることから考えますと、昭和30年頃に撮影されたのではないかと思われます。

写真1
写真1

 写真1は幽翠池の近くから北の丘の斜面を見上げたもので、奥に茶寮の建物の一部が見えています。ゆったりと登る石段の左右はササの刈込みやサツキの玉造りが見られる、明るくのびやかな空間となっています。西田氏は、椿山荘の中でもこの景観は「出色」と評価しているところです。

写真2
写真2

 写真2は、丘上の茶寮から南の早稲田方向を望んだものです。近景は芝生とその中に延びるやや粗い霰崩し(あられくずし)の園路というシンプルな構成で、中景の西の丘や東の丘は樹林でおおわれていて、明暗がくっきりと分かれています。

 

 この樹林は、戦災で焼失した後に戦後植栽されたものと思われますが、すでにうっそうとした樹林になっているのには驚きます。また、写真の右手には、樹林の上に枝を広げている富士松が見えていますが、この数年の後には枯死したといわれている名木でした。

 

 山県邸時代には、西の丘は芝生になっていたため、早稲田の田園風景が眺望できたようですが、稲田も住宅地に変わってしまっていたことで、樹林に変えたのではないでしょうか。それでも遠くかすんでみえているのは赤城の台地と思われ、かつての眺望の一端がうかがえるようです。

 

 ところで少し横道にそれますが、『東京の庭』の写真には、現在私たちから見るとちょっと不思議な感じを受けるところがあります。それは、なぜか今では椿山荘の象徴のようになっている三重塔が写っていないことです。平成の現代に椿山荘を訪れる人は、写真を撮る時に必ずといってよいほど三重塔を入れて写すのが当然のように思われるのですが、なぜなのでしょうか。

 

 写真2についても、三重塔のすぐ前にあった富士松を写していながら、三重塔を避けるかのような構図にしているのです。また、他にも写真は雲錦池畔の茶室や木春堂といった建築物を写している写真はあるのですが、三重塔はありません。

 

 それらは西田氏が意図的に撮らなかったか、あえて写真を載せなかったと考えられるのですが、どうでしょう。その理由をしいてあげるとすれば、三重塔は極めて造形性の強い建築物です。庭園を紹介する写真に、強い印象をもたらす三重塔を入れることは、庭園の印象を薄くすることになりかねません。そのため三重塔の写真は載せなかった、と解釈することはできるかもしれませんが、それでも〝なぜ〟という疑問をぬぐうことはできません。

 

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