<神田川沿いの街 関口台の街と庭園-17>

椿山荘庭園⑬

□ 庭園の歴史―昭和~平成(昭和40年以降)

 昭和30年代の末から椿山荘は、現代的な建物が次々と建設されていきます。その過程で庭園もその姿を変えていくことになりました。

 

 北の丘の大部分はそっくり建物に置き替わった形となったことにより、西田氏の写真に写っていた斜面の庭が消失したことは、最も大きな変化といえるでしょう。幽翠池のほとりから立ち上っている建物に沿って大規模な五丈滝が完成したのは、昭和40年(1965)ですが、これによって現代的な商業施設としての、椿山荘の新しい庭の姿が現れたということがいえます。

北の丘はすっかり建物に置き替わり、現代的な景観となっている。
北の丘はすっかり建物に置き替わり、現代的な景観となっている。
 また、東の丘もほぼ全体に高層のホテル棟が建ち、庭園の様相は大きく変わりました。庭園は、園内を廻遊しながら移り変わる景観を楽しむ形式は残しながらも、建物のそれぞれの窓から眺める景観が重要視されるようになったのかもしれません。このため、三つの丘で唯一残された西の丘の樹林と丘上に建つ三重塔は、今まで以上に景観のポイントとして重要になったといえるでしょう。
高層のホテル棟から西の丘のの樹林と三重塔を望む。三重塔が重要な景観ポイントになっている。
高層のホテル棟から西の丘のの樹林と三重塔を望む。三重塔が重要な景観ポイントになっている。

 椿山荘の庭園は、その特異な地形的特長である三つの丘と二本の谷戸によって構成されていました。そのうち、北と東の二つの丘は失われましたが、二本の谷戸は今も残されています。言い替えれば椿山荘の庭園の重要な要素としての水景は残ったのです。

 

 改変はされていますが、「五丈滝」から「幽翠池」、「聴秋瀑」、「雲錦池」、そして「ほたる沢」、「古香井」という水景に、かつての庭園の面影を留めているといえるのかもしれません。

 

 東京の庭園は、京都のように社寺の所有する庭園と異なり、個人から民間企業に、あるいは更に公園という公共の所有へと変わってきたものが多く、経済的環境や社会的環境によって改修、改変されることが多かったことが考えられます。

 

 そのため、多くの庭園は築造された当時の姿をそのまま残している例は、きわめて少ないのが実態でしょう。

 

 しかし、改修、改変された部分があるとはいえ、当初の庭園の姿を思い浮かべ、イメージの中で再現することが可能な骨格は残されています。現代では貴重な、明治の面影のある庭園として、そしてまた現代に活きて利用される庭園として、今後とも守り育ててもらいたいと思います。

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