池田山の住宅地のはずれ、台地の北端に池田山公園があります。公園とはいえ、きわめて特異な地形に和風の造形が施された、和風庭園といってよいでしょう。
公園は、台地の北向斜面の一部の平坦地を含んでいますが、その大部分はあたかもすりばちの底にあるようなひょうたん池と、池に向かって下る斜面地という地形形状を示していて、地形の変化に富んでいる東京山の手の庭園の中でも、ひときわ個性的な庭園といえるかもしれません。
江戸時代の大名庭園や、近代に作庭された富豪や実業家の大庭園は、台地の南斜面に造られることが多く、その場合には台地上に南面して建物を建て、南に下る斜面や斜面の下の平坦地に、湧水を利用して流れや池を設けて庭園とするのが一般的です。
これに対して、池田山公園は、元の個人の邸宅時代の住宅が眺望としては北の谷戸を隔てて白金から高輪方向を望むと同時に、東へは眺望がきかずに、斜面下の庭を眺めるという、他の多くの庭園とは異なる立地となっています。
庭園としての構成は、平坦地の元の住居であった建物まわりの状態は不明ですが、谷底のひょうたん形の池と水源としての滝という水景を中心とした、回遊形式の庭園となっています。つまり、池の周囲の四方の斜面を上がり、下がりする園路がめぐっていて、それをたどりながら水景を楽しむという視覚的には外部へ広がるのではなく、すりばちの内部に集中する空間構成であったと思われます。
白金台地の南向きの位置であれば、目の下を流れる目黒川や対岸の目黒台地、そして現代よりはるかに近く、広がっていた品川の海が眺望できる環境があっただけに、池田山公園の北向きの立地は、邸宅地としては必ずしも一級であったとはいいがたい印象があります。
しかし、時を経て平成の時代になると、品川の海どころか目黒川への眺望すらも失われ、ビル群のみが目に映じることになりました。そのためかえって池田山公園のすりばち状の形態をもつ庭園が、周囲のビル群もさほど気にならない環境を有することになって、和風庭園としての趣が残されることになったのは歴史の皮肉といえるのかもしれません。