<白金台の街と庭園-10>

池田山公園⑦

□ 歴史をたどる ー― 江戸時代(2)

 

 「岡山藩大崎下屋敷の絵図」は、池田山公園の地が下屋敷に含まれていなかったことを示しているだけではなく、下屋敷に庭園のあったことも教えてくれています。

 

 敷地中央からからやや南側に寄った位置に、ほぼ三角形の形状の池が描かれていますが、この周囲に庭園が造られていたようです。図録には「庭園にあったと見られる大きな池は、南側斜面に凹状に入り込んだ谷の奥端に位置しており、崖からの湧水を利用して庭園が造園されたものと推定される。」(「文化二年の岡山藩大崎屋敷」原田佳伸)と記されています。

 

 原田氏の論考は、この地の地形は江戸時代からほとんど変わっていなかった昭和初期の地形図と比較することによって、推定されたものですが、この位置は池を設けるうえで格好の場所であったと考えられます。

 

 谷戸の奥というのは、台地から湧水が湧出しやすい場所ですし、東と西の両側が高台であるということで、南側をせき止めるだけで水を溜めることができるため、池を造りやすい地形的条件を備えていたのです。

 

 この庭園がどのような姿であったかはわかっていないようですが、高低差のある地形と湧水の利用ということを考えると、やはり滝や流れもあったのではないでしょうか。そして水を溜めた大きな池を中心とし、周囲の斜面地につけられた園路を廻遊しながら水景を楽しむ形式であったのではないかと思われます。

 

 つまり、庭園の空間構成は、池田山公園の庭園とほぼ同じような構成であったのではないかと想像されるのです。台地に刻み込まれた谷戸の奥に池を設けるとすれば、必然的に同じ構成になるのかもしれません。

 

 ところで、池田山公園が、いつの頃から池田家下屋敷の庭園跡といわれるようになったのか定かではありませんが、公園となって池田山という名称がつけられた後であったのではないでしょうか。

 

 池田山という名称から池田家下屋敷という連想は多くの人にとって容易なものですし、当時は下屋敷の範囲も確定されていなかったとすれば、そこで誤解を生じたことはあり得ることといえるでしょう。

 

下屋敷の笋(たけのこ)つみ

歌川豊国(初代)画 天保14年~弘化4年(1843~47)刊

品川歴史館蔵

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「海を望む高台の下屋敷の竹林で、たけのこをつむ御殿女中。」

 

絵は池田家の下屋敷とは限らないが、品川の海がこれほど近くに見える環境は同様であったようだ。手前の竹林の奥では広い芝生で遊ぶ御殿女中たちの姿も描かれている。

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