<白金台の街と庭園-14>

池田山公園⑪

□ 歴史をたどる——大正時代(3)

 池田山が大きく変貌するのは大正も末期にさしかかろうとする時期です。大正11年(1922)に測図された帝都地形図(之潮・2005)を見ますと、台地上にあった池田邸や庭園が姿を消し、代わりに東西南北にはしる直線の道路で区画された住宅地の街区が描かれていて、池田家分譲地と記されています。等高線は西から東へと緩やかに下る傾斜面を示していて、かつて池田家の邸宅の建っていた高台を削り、庭園や池の在った谷戸を埋めて、造成した地形を示しています。

 

 住宅地の北側には、十数軒の建物がありますが、この一帯は前に記した山口別邸のように、池田家によって大正の初めごろに分譲された土地と思われます。

 

 一方後の池田山公園の地は、地形的にはほとんど改変されていないようですが、台地上には建物が建ち、神戸邸との書き込みが見られます。また向かい側には日野第三小学校も出来ていて、神戸邸との間にはこれまでなかった道路が通り、台地上の道路と連絡しているのも大きな変化といえるのかもしれません。

 

 日野第三小学校は、大正10年(1921)校舎の建設が始まり、大正11年(1922)4月に開校していますので、この道路も台地上の住宅からの通学路として同時に造られたものと考えられます。

 

 さて神戸邸です。全体の地形は以前の古地図と比べても大きな変化は見られませんが、建物は崖の等高線に合わせるように南東に向いて建っています。ここからは北方の白金今里町方向へは眺望が広がっていますが、そちらではなく、庭園を見下ろす位置と向きに建物を配置したものと考えられます。この時同時に造られた正門の位置やアプローチ道路の形態は、現在と同じといっていいでしょう。

 

 台地の下にはひょうたん型の池もうっすらと見えますので、庭園の築造も同時進行で行われたと思われますが、建物と庭園の竣工時期は周辺の状況から見て、小学校の開校の時期とほとんど同じ大正11年と考えてもよさそうです。そしてこの時池田邸の解体、敷地の造成も相前後して行われていたことを考えますと、現在池田山公園にある大型の灯篭や水鉢、庭石などは、池田邸にあったものを神戸氏が譲り受けたことも考えられます。あくまで推測にすぎませんが、可能性は十分にあるように思われるのですが、どうでしょうか。 

 

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