<白金台の街と庭園-21>

白金台の裏道・小道⑤

□ 芝白金団地内の道 その2

 芝白金団地の石造品が気になり後日調べてみますと、この土地は団地が建設される前は、戦前から戦後にかけて実業家・政治家として活躍した藤原銀次郎氏の邸宅だったことがわかりました。藤原氏は、三井系の財界人として富岡製糸場の支配人を務め、後に不振を極めていた王子製紙を立て直し、社長として腕を振るい大製紙会社にしたてあげ「製紙王」と呼ばれた人です。


 一方ではお茶を好み、暁庵という庵号をもち、数寄者として益田孝(鈍翁)・高橋義雄(箒庵)・馬越恭平(化生)・団琢磨(狸山)・根津嘉一郎(青山)・畠山一清(即庵)などの当時の錚々たる財界茶人と交わり、時に自邸の茶室で茶会を開いています。


 しかし4000坪から5000坪もあったという敷地に造られていた庭園については、残念ながら資料がなく、ほとんど知られていません。わずかに晩年に造った「長闇堂」という茶室の蹲踞まわりの写真が、自著『私のお茶』(講談社・昭和33年)の中に残されていますが、灯篭、水鉢共に白金団地にあるものとは異なります。


 このため白金団地に残されている石造品が、藤原邸で使われていたものかどうかは確認することはできませんが、庭内にあった幾つかの蹲踞の内の一つだった可能性は捨てきれません。それは、こうしたものをわざわざ他所から持ってきて置くようなことは、普通では考えられないからです。今のところは藤原邸の名残と考えられる、としておくのが妥当なところではないかと思われます。


 ところで、この土地が藤原邸とわかった際に、もう一つ思い出すことがあります。それは、敷地のすぐ前に三田用水が流れていたことから、邸内に三田用水の水を引き込んで、池や流れのある庭園を造っていた可能性が考えられことです。そうした例は、代官山にあった旧西郷邸(目黒区の菅刈公園に滝と池が修復され現存)、旧朝倉邸(流れの跡が現存)、そして今はない津村邸(流れ・滝・池があった)などが、三田用水を引いて流れや滝、池を造っていたからです。水源となる用水が目の前にあれば、庭園を作る時に水を使いたくなるのは当然です。これは藤原邸の庭園がどのような姿であったか不明ですので、あくまで可能性と私の想像とでしかありませんが、ついついそんなことを考えさせてくれる土地なのです。

藤原銀次郎邸茶室「長闇堂』前の茶庭につくられた蹲踞まわりの景 (『私のお茶』藤原銀次郎・講談社・昭和33年)
藤原銀次郎邸茶室「長闇堂』前の茶庭につくられた蹲踞まわりの景 (『私のお茶』藤原銀次郎・講談社・昭和33年)

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