<白金台の街と庭園ー47>

桑原坂界隈 ②

□ 石垣のある風景(2)桑原坂から高輪桂坂へ

 

 桑原坂を下り切ると、道は仏所護念会の前あたりからゆるやかな登り坂にかかります。石垣は坂の両側に再び姿を現して、桜田通り近くまで続いています。

 左手の明治学院の石垣と比べると、古い住宅の建つ右側は一段と高く、およそ4mほどの高さはあるでしょうか。

 石垣には階段が組み込まれていて、石垣の上に土塀風の塀と腕木門があり、かつてのお屋敷町の面影を伝えています。

 

 

 

 ところでこの道は、第一京浜(国道15号)から桂坂を上り、二本榎通りを突っ切り、桜田通り(国道1号)と交差して明治学院の前を通り、桑原坂を上ったところで目黒通りに出る道筋ですので、この先にも石垣があるかどうか、白金台からは少し足を延ばして高輪台まで歩き、桂坂あたりを見てみることにします。

 

 明治学院前の桜田通りを歩道橋で渡り、高輪台の尾根筋を通る二本榎通に出ると、角には高輪台のランドマークになっている、高輪消防署二本榎出張所の塔屋を備えた優美な建物が目の前にそびえています。道はそこからわずかに下り坂で、さらに歩いていくと長い下り坂が眼下に見え、その坂の両側にも石垣が見えてきます。これが桂坂です。

 

 

 石垣は坂の両側の、マンションや企業の施設、住宅などの敷地ごとに高さを変えて断続的に続いています。その高さと長さとは、桑原坂の石垣をはるかに超える存在感があります。

 なかでも最も高いと思われる石垣は、写真の右手の野村證券研修センターの石垣で、およそ8mほどの高さがあり、圧倒されるような迫力を感じます。その向かい側の東芝高輪クラブでも6mという石垣ですので、東京の街の中でもきわめて稀な、高い石垣のある風景といえるのではないでしょうか。

 さらに坂を下ると石垣に、アプローチの階段とガレージを組み込んだ住宅がありました。長く続く壁のような石垣の、単調になりがちな景観に変化をもたらしているとともに、石垣もこのように造ることも可能であることを示してくれています。

 桑原坂から桂坂にかけて、この道路沿いに断続的に続く石垣は、どれも石質、石材の寸法、積み方から御影石の笠木に至るまで、全く同じ仕上がりを見せていて、沿道の住宅や企業、学校などがそれぞれ個別に造ったものとも思えません。おそらくこの道路を建設するときに、いっせいに築造されたものと考えるのが妥当でしょう。

 やがて道は平坦となって、多くの車が行きかう第一京浜にぶつかります。江戸時代にはこの道路の先のビル群の建っているあたりは、品川の海だったというのは、今では想像もできない風景です。

 

 

 しかし、この場所が海の傍だったことを教えるように、第一京浜に出た角には、江戸時代の海岸の護岸石垣に使用されていた石材が展示されていました。

 

 この石材の材質も、桂坂の石垣と同じ伊豆石で、やや粗い仕上げの正方形の形状は、間知石と同じような積み方をしていたようです。

 それにしても、江戸城の石垣をはじめとして、山の手の坂道、下町の堀川や海岸の護岸にも伊豆石の石垣が驚くほど多く使われていました。それらを見ますと、いったいどれほどの石材が江戸、東京に運び込まれたのかと、改めてその量の多さを思い知らされます。

 

 この道沿いにはその一端が表れているにすぎませんが、そうしたことに気づいてみれば、江戸から東京に続く都市の土台造りは、伊豆石によって支えられてきた、と言っても過言ではないこともまたわかってくるのです。

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