<白金台の街と庭園ー50>

桑原坂界隈 ⑤

□ 江戸の道から東京の道路へ (1)

 桑原坂から下ってきた道が、桜田通りと交わる交差点近くに、イチョウの大木がありました。交通量の多いこのような場所にもかかわらず、道路内に立っているのは珍しいのではないでしょうか。

 

 イチョウは、幹周4m、樹高は20mほどもある大木で、幹の半ばは車道にかかっていて、片側一車線の道路を路線バスやトラックなどの大型車両が通るときには、幹をこするのではないかと思われるような位置に立っているのです。

 

 当然普通の街路樹とは思われませんし、これほどの大木がなぜ道路内に生育しているのか不思議な感じがします。何かいわれがあるのでしょうか。

 

 

 

 

 ところでこのイチョウもそうですが、この道筋には石垣といい、近代の建物といい、何か私たちのような散歩人の興味を引くものがあちこちに散在しているようです。

 

 それはともかく、イチョウの大木は明治学院の正門前にあるのですから、学院と関係があるのではないかと思い調べてみますと、このイチョウはもともと学院の敷地内にあったことがわかりました。『明治学院九十年史』には次のような記述があります。

 

 「学院の正門に近く天を摩する大銀杏があるが、この巨木は大正九年までは学院の構内にあったものである。大正十年一月から東京市は京浜国道の都電高輪北町停留所(当時は庚申堂前)のあたりから、現在の高輪警察署と消防署の間を通り、二本榎通りを横切って白金小学校前を通り日吉坂に出る道路を造ることになり、そのため学院南側の土地は約三米幅けずり取られることになった。(中略)この土地譲渡には一つの条件があった。それはこの大銀杏をきらないということであった。」

 

 こうした条件を東京市に認めさせたのは当時の学院の総理であった井深梶之助氏で、「町の風致の為に伐らないと言う約束で東京市に無償で寄付した」と伝えられています。大正九年(1920)のことですからその時からでも約100年の時がたっているわけで、当時すでに巨木といわれていたのであれば、樹齢は数百年を数え、江戸時代からこの地に生育していたものと考えられます。

 

 そのイチョウの大木が今も残されているのです。これは現代でもなかなか難しいことかもしれませんが、今風に言えばこのイチョウの大木は、街のランドマークであり、街の景観を守るということの象徴であり、そして街の記憶を伝える歴史的記念物ともいえる存在といえるのかもしれません。それを残してくれたのですから、今散歩の途中にこれを目にすることのできる私たちは、井深氏に感謝しなくてはならないでしょう。

 

 そしてこの時期に、江戸時代からの道が、道の両側の土地を買収し拡幅して、新たに近代の東京の道路として再生されたのだということを教えてくれるのです。

 

  

引用文献:『明治学院九十年史』明治学院、昭和42年

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

土・日曜日、祝祭日

お問い合わせ