<白金台の街と庭園ー52>

桑原坂界隈 ⑦

□江戸の道から東京の道路へ (3)

 明治学院前から桑原坂に向かう道路は、ゆるやかな下り坂になっていますが、道路が大きくカーブする仏所護念会のあたりが最も低い所で、そこから桑原坂の長い上り坂になっています。このなにげない風景も、実は白金台の隠れた地形をあらわしているのです。

 

 それは散歩の途中で感じた、石垣が桂坂のように連続していない理由とかかわっていることでもあります。例えば明治学院付近では、道路の両側に石垣が見られるのは、元々の地形の台地の裾を切り割るような形で道路が造られたために、土留めの石垣が必要になったのに対し、このすぐ先のカーブのあたりでは、逆に道路のほうが高く、沿道の建物の地盤や細街路のほうが低いという状態が見られるのです。

 こうした地形は、もともとここに流れていた玉名川のつくった谷状の低地を、道路が横切るために生じたものと考えられます。

 

 左の写真は、かつての玉名川の流路を埋めてつくられた細街路と思われますが、桑原坂に向かう道路の最も低い所からさらに低い位置にあることがわかると思います。

 

 このように大正期の道路の改修工事で主要道路を高くした理由は、道路がこのあたりから桜田通り側にも目黒通り側にも上り坂となっているために、坂の勾配を緩やかにする必要があって行われたかさ上げと思われます。そうしてみると、昔の江戸の道は現在の道路に比べてはるかにアップダウンの激しい道であったと考えられます。

 次の写真は、上の写真とは反対側を写したものですが、やはり奥から手前に向かって坂で上っています。また右手の塀の中は、現在は仏所護念会の敷地になっていますが、江戸時代には八戸藩南部家の抱え屋敷で、敷地内に玉名池があり、玉名川はそこからこの道路のあたりを流れていたようです。そうだとすれば、ここには小さな橋が架かっていたのかもしれません。

 ちなみに玉名川は、明治40年頃に埋め立てられたと思われます。

 実は、このように道路をかさ上げしたと思われるところがもう一ヶ所あります。左の写真では、桑原坂下の道路と比べると、瑞聖寺の冠木門が一段低い位置に建っていることがわかると思いますが、この場所もどうやら桑原坂の勾配を緩やかにするために、道路をかさ上げしたところのようです。

 この写真を見ると、道路との境界に伊豆石の石垣が積まれていて、道路からは階段で降りる形になっているのがわかります。しかし、この瑞聖寺の参道の入り口の地盤は、江戸時代から変わらないとすれば、本来の江戸の道では、この地盤より低いか、少なくても同じ高さであったのではないでしょうか。本堂に向かうのにはこの奥の高い階段を上るわけですから、ここで道からわざわざ低くすることは考えられません。

 

 つまり大正期の道路の改修の際、桑原坂の勾配を緩くするために道路をかさ上げし、その土留めとしていわば逆擁壁のようにして石垣を積んだものと思われるのです。そのため瑞聖寺の参道は道路よりも低くなったと考えられます。

 桑原坂界隈に、石垣がなぜこんなに多く見られるのか、という単純な疑問からはじまった散歩も、私の細かいところが気になる性分から、石垣の築かれた時代や江戸の道の痕跡を探すようなことになりましたが、それでもわずかに残された手がかりから、石垣築造の時期やもともとの地形と道の様子が少しはわかってきました。次回にももう少し江戸の道を探ってみます。

 

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