<白金台の街と庭園ー63>

シェラトン都ホテル東京の庭園 ⑨

 

 

 この広場のあたりは、ホテルの庭園の最も奥まった行き止まりですが、昔からあったような大木が立ち並んでいるだけではなく、隣接する八芳園の木々の緑も借景のようになって空間を取り巻き、広がりもあって気持ちの良い場所になっています。そのために休憩コーナーも設けられているのでしょう。

 

 しかし先ほどから広場周りをうろうろしているのは、このあたりにはこれまで見てきたような異国の石仏や灯篭、石筍、使途不明の石造品などさまざまなものが展示されているだけではなく、枯流れの庭が造られていたり、チャペルの前庭でもあるような、さまざまな要素とテイストが混在している、まるで”寄せ鍋”のような空間のせいかもしれません。そのためしばらくは不思議な味わいのもととなる食材一つひとつを味見していたかのような気がするのです。それでもさすがに”寄せ鍋”にも満腹して次に行こうとして、まだ一つ見落としているものがあるのに気がつきました。それは見落としたというよりは、大きすぎて眼に入らなかったというべきかもしれません。

 

 それは広場に隣接して、高さも6~7メートルはあろうかという富士塚でした。富士塚は、富士山信仰が盛んな江戸時代後期から明治期にかけて築かれた人工の富士山で、江戸府内はもとより関東各地の浅間神社をはじめ多くの神社の境内に造られたといわれています。

 

 富士山信仰では、町や村ごとに講を作って富士山に登拝することが行われましたが、富士山は女人禁制だったため女性は登ることができず、また足弱な老人や子供なども参加できないことから、富士塚を築いて頂上に祀られた浅間様に参拝し、また富士山をも遥拝することが広く行われました。それによって、富士山に登拝したのと同じご利益が得られるといわれていました。

 

 こうした歴史から、富士塚の多くは神社の境内に築かれていて、現在東京都内でも大小合わせて60基以上が残されていますが、個人の庭園内(旧藤山雷太邸)に、現在残る富士塚でも最大級の塚が残されているのは極めて珍しいのではないでしょうか。(富士塚の下に立てられている解説には、藤山邸時代にあったことが記されている。)

 

 富士塚の特徴は、富士山の溶岩である黒ボク石を積み上げて築山を造り、山を巻くように参道を設け、途中に何合目かを示す標石を立て、頂上には浅間様の祠を祀った形に築造されますが、富士山の遥拝所ともなるために、富士山を眺望する場所に築かれることも多かったようです。

 

 ところで、白金台の台地上から昔は富士山が見えたといわれていますが、この場所(旧藤山邸の庭園)は、白金台の谷筋の低地にありますので、どうだったのでしょうか。あるいはここからは見られなかったからこそ富士山を遥拝するために、これほど高い富士塚を築造したと考えることもできるのかもしれません。

 

 富士山の姿を模した築山を庭園内の主要な景観要素とした例は、大名庭園によく見られますが、その多くは富士山の優美な山容を眺めることを目的としているようです。東京深川にある「清澄庭園」もそうした庭園にならい、池の対岸からの景観ポイントとして富士山が築かれていますが、これらはあくまで富士山型の築山として造られていて、富士山信仰の富士塚とは異なるように思われるのです。

 

 また庭園としての空間構成から見れば、富士塚の背後には塚よりも高い台地の崖がありますので、東京の下町にあるような平坦な土地に造られた庭園のように、ことさら築山を築造する必要はないようにも思われます。

 

 そしてそうしたことを考え合わせると、藤山氏は庭園の造形的な意味での富士山ではなく、あくまで富士山信仰にもとずいて富士塚を庭内に築造したのではないかと思われるのです。

 

 いずれにしても旧藤山邸も、そしてその庭園を引き継いだホテルの庭園も、通常の和風庭園の見方では理解することが難しい不思議な感覚が感じられるのです。そして”寄せ鍋”にはこんな大きな具材も入っていたのを改めて気づいたのです。

 

 

 

 

 富士塚で使われている黒ボクは、古い石だけではなく新しい石材も混じっているので最近改修されたされたように思われる。

 富士塚の頂上付近、頂上に小さな石の祠が祀られている。周囲は木々が大木になっているため、視界は遮られている。

営業時間

平日10:00~18:00 

定休日

土・日曜日、祝祭日

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