<白金台の街と庭園ー65>

シェラトン都ホテル東京の庭園 ⑪

□歴史をたどるー江戸時代

  この地を、江戸時代後期の絵図で見てみますと、白金台地の尾根筋を通る相模街道(現目黒通り)沿いには白金台町の町家が連なっていますが、そのすぐ裏には百姓地(農地)が広がっていて、この地はその百姓地の一部であったことがわかります。地形的には街道から南東に下る斜面で、その斜面と向かい合う松平丹波守下屋敷(現明治学院)の土地は高台になっているために、斜面の下は谷状となり玉名川はそこを流れていました。

 百姓地には「白金村・今里村入会」と記されていて、また「田」と「畑」との書き込みもあります。このことは、玉名川から水を引ける低地には「田」を、斜面の高い水を引けない土地を「畑」としていたことをうかがわせます。

 

 また入会とは入会地のことで、白金村・今里村の共有地であったのでしょうが、こうした入会地は街道の反対側にもあり、さらにこの周辺にもいくつも散在していますが、こうした入会地と単に白金村や三田村という書き込みのある百姓地とは、何が違うのでしょうか。推測ではありますが、おそらく白金村という書き込みのある土地は、だれだれという自作農家の個人の土地であって、その農家は白金村に属しているため、村の名前だけを記しているのかもしれません。

 

ミニ知識  入会地

 入会とは辞書によれば「一定地域の住民が特定の権利をもって一定の範囲の森林・原野または漁場に入り、共同用益(木材・薪炭・まぐさなどの採取)すること。」で、入会地は、「一定の人々のあいだで入会の権利が設定されている山野・漁場など。」(『広辞苑』)と記されています。

 

  入会地は辞書に書かれているように、一般的には農地というよりも山林や原野であることが多いのかもしれませんが、白金村や今里村のように場末とはいえ江戸の御府内であり、山林はもちろん原野もない土地では、絵図に書かれていたような「田」や「畑」も共有の農地として入会地になっていたのかもしれません。

 いずれにしても、周辺の土地が大名や旗本の屋敷地に、あるいは寺社の境内地になっていた中で、ここだけが農地になっていたのには、この土地のほぼ全体が斜面という、建物を建てるうえでは好ましくない地形的な条件があったのではないかと思われるのです。

図版出典:「御府内場末往還沿革図書」から編成、弘化3年(1846)『増補港区近代沿革図集 高輪・白金・港南・台場』 (港区港郷土資料館 2008)

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