<白金台の街と庭園ー69>

シェラトン都ホテル東京の庭園 ⑮

 

□歴史をたどる―大正時代 (2)

 

 高橋義雄氏の『萬象録』には、先の兜石のほかにも藤山邸の庭造りに関する記事を、いくつかみることができます。そうした記事のなかに、藤山氏の庭に使われていた、石造品に関する疑問を解いてくれそうなところや、藤山氏の好みをうかがうことのできる部分があるように思われます。

 

「藤山雷太氏明後日台湾施政20年記念共進会に臨席の為め渡台に就き、送別の為め田中屋に於て晩餐を共にす。尚ほ先般奈良にて買入れたる高さ一丈三尺の大燈籠を八百五十円にて同氏に譲渡せり。」(『萬象録』大正5年〔1916〕3月22日)

 

 きわめて短い記事ですが、少し解説を加えながら見ていきます。まず第一に台湾との関係ですが、藤山氏は明治42年(1909)に倒産寸前といわれていた大日本製糖の社長に就任します。そして台湾での砂糖生産を拡大することで業績を建て直し、再建に成功します。その後他の精糖会社を合併して業容を拡大する中で、台湾をはじめ東南アジアとの関係が深まり、大正5年(1916)には南洋協会の評議員にも就任します。3月22日の日記での台湾行きの話もこうした関係なのでしょう。

 

 つまり製糖業は、台湾や東南アジアを抜きにしては成り立たないのですから、これらの地に出張することも多く、そうした折に見た石仏やその他の石造品を気に入って、作庭中の自邸の庭に置くことを考えて購入したのではないかと思われるのです。それが今もホテルの庭に残る異国風の石仏や、石造品ではないかと思われるのです。これは私の想像ですが、そんなことを考えてみたくなります。

 

 二つめは、高橋氏から巨大な燈籠を買い入れたことですが、高橋氏は折々京都や奈良の古美術商や、古寺を訪れて古い石造品や庭石を購入していました。(それも当時寺院は廃仏毀釈の影響もあり、経済的に困窮していたためににできたことですが)高橋氏はそれらを東京に送り、自らの庭に使うのはもとより、作庭の依頼を受けた庭園に使用し、また友人や知人に乞われて譲ったりしていますが、それらの石造品や庭石の置き場に藤山邸の屋敷の一画を借り受けていることを日記に記しています。(『萬象録』大正6年6月1日、同8月23日、同10月18日等)

 

 藤山氏は、自分の屋敷内にある石置き場にあった、そうした燈籠を見て買い取ったものと思われるのです。しかし「高さ一丈三尺の大燈籠」とは4.2メートルもある巨大な燈籠です。藤山氏は、さきの13トンもある「兜石」といい、大燈籠といい、大きいものを好む傾向があったようです。伝記にも「箱庭的の繊巧優雅の趣を愛するよりも、豪壮巨大なものを喜ぶ風であった。老樹巨岩等は翁の嗜好である。」(『藤山雷太傳』西原雄次郎)と記されていますので、何につけそうした大きなものを使って庭を造ることが、藤山流の作庭だったのかもしれません。

     

 

 

 

 

 

 

 現在のホテルの庭にも、双幹のイチョウの木をはじめ大木も多くみられますし、巨岩を組んだ石門、十五重塔など大きな石造品もあって、「老樹巨岩」を好んだ藤山氏の好みを今なお残しているようです。

 

 左の写真は、高橋氏から購入した大燈籠と思われる燈籠と、イチョウの大木です。4メートルをこえる大燈籠もこうして巨木と並ぶと、何やら無理なく収まってしまうのですから、藤山氏にしてみれば、豪壮巨大なものであっても、要は取り合わせであり、全体のバランスが大切だということかもしれません。

 

 『萬象録』は、残念ながら庭園の全体像や、景観については伝えてくれませんが、藤山氏の庭に対する考え方や好みは、具体的な事例を示して教えてくれているようです。

引用文献:『萬象録』高橋義雄、思文閣出版

     『藤山雷太傳』西原勇次郎、藤山愛一郎、昭和14年(1939)

 

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