<白金台の街と庭園ー71>

シェラトン都ホテル東京の庭園ー⑰

 

□ 歴史をたどるー昭和時代(1)

 

 昭和時代に入ると藤山邸に大きな変化が現れます。昭和4年4月には明治30年以来住んでいた邸宅を取り壊し、敷地内の別宅に移転して、新たに本宅となる建物の建設が行われたのです。

 

 新しい邸宅の設計は、京都帝国大学の建築学科を創設し、教授になっていた武田五一氏でした。建物は洋館と和風建築の日本館とが並ぶ和洋並置型の住宅で、洋館はイギリス風チューダー様式の、鉄筋コンクリート造3階建てで建坪は117坪。日本館は書院造り木造平屋建ての建坪212坪、それに金閣寺を模した三層の楼閣が設けられた豪壮な建築です。竣工は昭和7年(1932)10月でした。

 

 このように洋館と和館を並置する形は、明治期以来の大邸宅に共通する作り方で、通常洋館は接客用として使い、和館を日常生活の場にすることが多いのですが、藤山氏は洋館に暮らして和館を接客用に充てていたようです。洋風の生活にそれだけ慣れていたのかもしれません。

 

 

 これは建物とその前に広がる庭を横から見た写真で、右の手前に洋館が、その奥に和館とさらに奥に三層の楼閣の屋根が見えています。台地の上に建物が立ち、左の旧玉名川の谷筋に向かって、芝生の斜面がゆるやかに下っている様子がわかります。正面奥の樹林の中には、三笠亭などの庭園建築があり、さらにその先は、久原房之助氏の屋敷になっていました。

 

 また、この写真からは、長い時をかけて作られた庭らしく、樹林が鬱蒼と茂っていると共に、相当の樹高になっているのがわかります。一番奥の屋根は楼閣ですが、その手前の和館の軒高が31尺(約9.3m)と言われていますので、それと比べてみるとどうやら樹高は15mほどはありそうで、この頃には大木を好む藤山氏にふさわしい姿になっていたようです。

 

 ところで、この写真を見ても新邸の建築時に、大正期に造られていた庭をどこまで改修したのかはわかりません。少なくても建物まわりの植栽と芝生は改修されたものと思われますが、洋風の建物と和風の建物が並んでいるだけに、建物の前は和洋どちらとも調和する芝生にしているのは、この時代らしさを示しているように思われます。また、広い芝生には、前に記したような園遊会を行う場であるという実用的な役割も同時にあったことと思われます。

 

 

図版出典:『藤山雷太傳』西原勇次郎、藤山愛一郎、昭和14年(1939)

参考文献:同上書

     「近代建築の好奇心 武田五一の軌跡」展図録、文京ふるさと歴史館編、文京区教育委員会

       平成17年(2005)

 

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