シェラトン都ホテル東京の庭園 ㉑
□歴史をたどるー昭和時代(5)
2年後の昭和12(1937)年には、著名な作庭家であり庭園史家の重森三玲氏(1896-1975)の著作『日本庭園史図鑑 明治・大正・昭和時代(二)』が刊行されました。その中に「藤山氏庭園」が入っていました。細密な実測平面図と写生図、写真、そして解説を加えた文章とで構成された資料的にきわめて価値の高い内容でした。
この重森三玲氏の『日本庭園史図鑑』は、「上古・飛鳥・奈良・平安時代」から「明治・大正・昭和時代」までの各時代の現存する庭園を、自ら実測し図面化するとともに文献調査によって来歴を明らかにし、全24巻にまとめた膨大かつ詳細な内容をもつ画期的な著作でした。
「藤山氏庭園」の実測平面図は、きわめて細密に描かれているために、縮小すると却ってわかりずらくなってしまいますが、前回の「鳥瞰スケッチ」と照らし合わせて見ていただくといいかもしれません。なお図面の向きは、「鳥瞰スケッチ」とは建物が下にあるように、上下逆の向きになっています。
図面は庭園の主要部分が描かれていますが、本に添付された写真と共に見ていきます。図面に赤い字で数字を書いていますが、これは写真の順番を示しています。
写真1は、図面左上の正門の内側から下の洋館の玄関方向を写したもので、右の写真は反対側から見たものです。砂利敷きの中に島状の植栽地を設け、マツの大木と大石とで景をつくっています。これを見ると、高橋箒庵氏の日記に記されていた兜石を思い出します。「加波山の兜石と称する大石を買い取りて玄関車廻しの松の大木の下に据え置きたり」という記述ですが、この石が兜石なのでしょうか。
しかし重森氏はこの石を海石としています。確かに加波山の石(茨城県加波山)は、花崗岩ですので石質はまったく異なりますし、写真でも花崗岩よりは海石のように見えます。この相違は、昭和7年に竣工した洋館に合わせるため前庭も洋風に模様替えした際に、兜石を他所に移してこの海石を据えなおしたと考えるのが妥当かもしれません。
この石について重森氏は、斜めのラインを見せる石の据え方は、日本庭園に於いて見られる伝統的手法ではなく「英国式自然主義手法」の配石ではないかと記しています。
写真2は、玄関の脇から円形の車廻しを見たところです。「鳥瞰スケッチ」にも描かれていて、その時にはこれが兜石ではないかと思った石ですが、どうも違っているようです。重森氏は、「やや円形に数十個の石を回らし、その中央に自然石の大手水鉢を配し、下部をコンクリート敷とし、ここをプールとして敷石をその中に配しているのであって」と、形態的には蹲踞ではあるが、欧米諸国に於けるプールの形式を日本化したものと見ています。
確かに中央の水鉢状の石から水を噴き上げれば、ヨーロッパの庭園の噴水になりそうですし、それを自然石を使って日本的表現としたと考えることもできそうです。重森氏の解説にもやや戸惑いのようなものがものが感じられますが、なんとも不思議な造形です。