<消えた渋谷川と街と庭園-1>

新宿内藤町 ①

 

 

□新宿御苑のまわりを歩く (1)

 渋谷川は、現在ではJR渋谷駅の恵比寿寄りに、突然のように姿を現します。深い川床に汚れた水がわずかに流れている巨大な排水溝のような姿です。そしてここから先の上流部は、すべて暗渠となりその流れを見ることはできなくなってしまいました。しかし渋谷川の旧流路をたどっていくと、渋谷~原宿~千駄ヶ谷~新宿・内藤町と続く川沿いの街があり、その街にはかつては多くの庭園がありました。

 

 姿を消してしまった渋谷川は、川沿いの台地に点在するそうした庭園に湧き出る湧水を集め、また江戸の水道であった玉川上水の余水を水源とする川でした。玉川上水は内藤家中屋敷北側の敷地沿いを流れていましたが、大木戸から地中を通す水道となるため、その余水を落とした水路の水と、もう一つの水源が内藤家中屋敷(現在の新宿御苑)から流れ出る湧水で、つまり内藤町が最も上流の水源だったのです。

 

 こうした水源の街内藤町を歩いてみたいと思いますが、内藤町の大半は新宿御苑となっていて、人が居住する街は東側の四谷に近い一画にしかすぎません。しかし、まずは御苑のまわりを歩いてみます。

 

 地下鉄の新宿三丁目駅から地上に出ますと、そこは駅名と同じ明治通りと新宿通りの交わる新宿三丁目交差点です。そこから明治通りをわずかに南に歩き、甲州街道に出て新宿御苑に向かいます。甲州街道とはいっても、そこは道路の大部分がトンネルになっていて、車はその中を通行しています。このトンネルは、四谷四丁目の交差点のあたりから新宿四丁目交差点の間の新宿御苑に接する区間をトンネルとしたもので、平成3(1991)年12月21日に開通し「新宿御苑トンネル」と名付けられています。

 

 

 

 

 

 

 そのトンネルの側道を進みますと、地下に潜りこんだトンネルの先に、御苑の森の端が見えてきます。

 

 かつてはこの道筋に沿って、玉川上水が流れていたわけですが、現在では想像することすらできない変わりようです。

 さらに進みますと、左手から来る広い道路が現れました。道路の両側の街路樹と、中央の分離帯にも大きな木が植えられた緑豊かな道路で、御苑道路と呼ばれています。

 

 この道路は、甲州街道にぶつかった所で途切れたようになっていますが、もともとは新宿六丁目交差点付近で、明治通りと分かれて、御苑の一部を削り千駄ヶ谷五丁目で再び合流する予定の、明治通りのバイパスの一部になっていました。

 反対側に目を転じますと、甲州街道を挟んで御苑道路と向かい合う位置に、現在工事中の道路とトンネルが見えます。

 

 このトンネルは、御苑の西側ギリギリに通る御苑道りの延長部分ですが、実は約70年も前に計画が決定されていながら、着工できなかった部分なのです。

  計画が進まなかったのは、当初の計画では御苑の西側の敷地を一部削って、道路を新設するというものでしたが、そこには湿地性の落葉針葉樹ラクウショウ(落羽松)の大木となった貴重な樹林があって、御苑を管理する環境省が計画に反対したためでした。

 

 東京都は平成17(2005)年になって、当初の計画である平面通行4車線の道路幅員を、トンネルを設け上下二層の立体通行2車線の道路幅に変更することによって、御苑の敷地を削らずにラクウショウの樹林を保存する計画で、ようやく環境省の了承を得て、計画を実施することが可能になったのです。

 

 その道路が左の地図で赤く塗った部分で、2020年のオリンピック前に開通する予定になっています。

 

 

 この工事中のトンネルには、こうした経緯があったのです。しかし御苑北側の甲州街道の新宿御苑トンネルといい、明治道りのバイパスのトンネルといい、いずれもきわどいところで道路に削られることを免れたわけですが、これも都心部に残された貴重な歴史的庭園というだけではなく、かつての皇室の宮廷庭園であり、その後は国営の国民公園という歴史があったからこそ可能だったのではないでしょうか。

図版出典:『ミリオンくるマップ東京23区市街道路地図』東京地図出版(株)2009年をモノクロコピー後一部分彩色

参考資料:東京都建設局資料

 

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