<消えた渋谷川と街と庭園ー10>

新宿内藤町 ⑩

 

□新宿御苑のまわりを歩く・大京町 (10)

 渋谷川の流路跡の大番児童遊園は、およそ100mほど続いてやがてJR 中央・総武線の土手に突き当たり、右に曲がっています。その土手にはレンガで何かをふさいだような構造物がありますが、これは渋谷川が線路の下をくぐり抜けていたトンネル状の水路をふさいだものと思われます。

 土手の下をくぐった流れは、その先の国立競技場の脇を流れ下っていましたが、写真のこの場所は渋谷川の本来の源流である新宿天龍寺境内に湧いていた湧水が、御苑の中を流れてここで余水吐の流れと合流していたところでした。その流れの跡が線路沿いに右手に延びている空地で、外苑西通りまで続いています。

 

 外苑西通りから先は、流れの痕跡は途絶えてしまいますが、古地図を頼りに道路を渡り、御苑沿いの細い道に入ります。下の左側の写真に見るように、この道は一度御苑に突き当たり左に曲がって行くと千駄ヶ谷の駅に至ります。古地図では、その突き当たった所が渋谷川の御苑からの流出口になっています。

 

 

 また古地図では、御苑から流れ出た水路はわずかに御苑沿いを流れると、道路から脇にそれ南側の住宅地の中に入っていましたが、その形跡は右の写真の、広い道が突然狭まっている辺りから右に切れ込んでいたのではないかと思われます。

 

 ところで渋谷川が流れていたこの一画は、西と北を御苑に囲まれ、東側は外苑西通りに、そして南は中央・総武線の線路に限られたきわめて狭い、他から孤立した町です。しかし住所はといえば、新宿区大京町と渋谷区千駄ヶ谷とに分かれていて、つまり新宿区と渋谷区との区境でもあるのです。

 上の地図は、戦後の渋谷川がまだ開渠だった頃の昭和22(1947)年の「新宿区詳細図」ですが、黒い実線が渋谷川で、太い一点鎖線が区境のラインです。御苑の南東の端の町を川と境界の線が重なるように横切っているのがわかりますが、その線の北側が大京町で南側が千駄ヶ谷になっているのです。

 

 そして区の境界は、御苑の下の池から上の池に続いていて、北側は新宿区内藤町、南側は渋谷区千駄ヶ谷で、つまり両区の境界は渋谷川になっていたのです。大京町は、その後外苑西通りができたことによって分断されて、このわずかな部分が飛び地のように残ったことになります。

 

 ちなみに御苑内の千駄ヶ谷部分は、現在は一般の民家を含まない御苑内のみの6丁目とされていますが、昔は千駄ヶ谷大谷戸町とよばれていて、渋谷川はその名の通り浅い谷戸(谷)の中を流れていて、池はその流れに沿って作られたことがわかります。

 

図版出典:『地図で見る新宿区の移り変わりー四谷編』新宿区教育委員会 1983年

 

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