<消えた渋谷川と街と庭園ー12>

新宿内藤町 ⑫

 

□新宿御苑のまわりを歩く・石塀 (12)

 内藤町は、どこか戦前の屋敷町の感じが、残り香のように漂っています。車の通行も少なく、人の姿もまばらで、戦前のものと思われる和風の住宅に古い石の塀をもつ屋敷や、屋根の向こうにケヤキの大木が大きく枝を広げている風景が、そうした印象をもたらしているのでしょう。ことに古い石塀は、今では都内でも見ることの少なくなった房州石と思われる切り石をを積んだ塀で、この塀は明治時代に作られたもののように思われます。

 房州石は、石の表面に白い刷毛ではいたような模様が出るのが特徴です。上の写真では、その房州石と共に色合いの異なる石も見えていて、塀の基礎に据えている石と笠木は黒味が強く伊豆石のようです。こうした異なる石を併用するのは、房州石が軟石のために、雨水がかかり風化しやすい部分に硬い伊豆石を使うことによって、傷みを少なくして永く保たせる工夫で、これも昔の手法です。

 

 一方門柱は、細かい化粧砂利を洗い出したもので、昔は人造石仕上げと言われていました。この仕上げ方は、セメントが安価になり広く使われるようになった昭和初期以降の手法ですので、古い明治の石塀を生かしながら門を後から付けたものと思われます。

 房州石は、千葉の鋸山周辺で採掘された凝灰岩の一種で、江戸時代末期の頃から明治期にかけて横浜や東京に大量に運ばれ、土木資材や石垣、塀として使われた石材です。しかし大正期に入ると大谷石に取って代わられ、現在では採掘できなくなった明治期に特有の石材でもあります。

 

 

 そのためこの石塀は、明治時代のものと考えられるのですが、都内で現在も見ることのできるのはそう多くはありません。いくつかの社寺の塀の他には、港区三田のイタリア大使館(旧松方公爵邸)や南麻布のフィンランド大使館(旧鷹司公爵邸)、文京区西方の旧阿部伯爵邸跡などの旧華族の屋敷の塀や石垣に使用されているのを見ることができるくらいです。

 

 内藤町の石塀は、多武峰神社の北側の並びにありますが、ここにはかつて内藤子爵家の広い屋敷がありましたので、房州石の石塀は、そうした華族の大邸宅にふさわしい外囲いとして設けられていたものと思われるのです。

 

 現在住まわれている方は、内藤家の人々ではないようです。しかし古い石塀を残しながら入り口部分を改修して新たに門を設けたものと思われますが、こうして石塀を残してくれたことで、内藤町の歴史を伝える記念物ともいえる塀が残ることになったのですから、なんとも貴重な塀ということができるでしょう。

 

 内藤町は今、古くからの住宅が取り壊されてマンションが建設される動きが活発になり、急激に変わろうとしているようです。しかしそうした中だからこそ、明治から続く屋敷町の風情を守り、歴史を伝える石塀をぜひとも保存してもらいたいと願っています。

 

 

参考文献:『近代エクステリアの歴史』日本エクステリア学会 建築資料研究社 2018年

 

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