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新宿内藤町 ⑮

 

□新宿御苑のまわりを歩く・住宅地の歴史 (15)

 内藤町の変化ということでは、今が最も激しい変化をする時なのかもしれません。町を歩いていると、町内のあちこちで住宅がなくなって、更地になっている土地や建設中のマンションの現場を見かけます

 おそらく空地になっている土地にも、マンションかビルが建つのでしょうが、こうした変化はなんとも止めようのない時代の動きなのでしょう。

 

 これらの土地以外にも、変わっていく土地がありましたが、なかでも『総覧日本の建築』に「回遊式庭園と武家屋敷風の玄関を持つ」と紹介されていた、町の南端で渋谷川に接していた矢崎邸もいつのまにか空地になっていました。

 上の左の写真は平成20(2008)年頃の矢崎邸の前です。門の奥に見える平屋の瓦屋根を庭木が覆うように茂り、南に下る地形の先に新宿御苑の森を借景にできる土地で、この屋敷ならば回遊式の庭園が造られていても当然と思われるたたずまいです。どこかに庭園の記録などは残されていないのかと、つい自分の興味のある方へ考えてしまいます。

 

 右の写真は平成30(2018)年の4月です。家も庭木もことごとく姿を消して、工事用の囲いで閉ざされた広々とした敷地一面に雑草が生い茂っていました。マンションにするならば、新宿御苑を眼下に見下ろす絶好のロケーションです。(御苑側からの景観は悪化するわけですが…)

 

 また、多武峰内藤神社の脇から更に西側の細い路地を入った、内藤町でも最も戦前の町らしい景観を止めていた一画でも変化は起こっていました。前回の武英雄氏の描かれた地図では小山邸となっていた土地です。

 

 上の写真の内上段2枚が平成20年頃の写真ですが、手前の板塀のある和風の住宅と、隣り合った腕木門のある屋敷構え、道路に生えたアカマツや門前に立つシラカシ、生い茂る庭木などが戦前の屋敷町らしい姿を見せていました。

 

 それがしばらくぶりに訪れた平成30年には、下段の写真のように数本のケヤキの大木だけが残る空地になっていたのには驚きました。雑草も生えていない生々しい赤土の地表を見ると、解体工事が終わったばかりのようです。今後この土地とケヤキの大木はどうなるのかと他人事ながら気になるところです。

 

 内藤町のあちらこちらで起こっているこうした変化は、あまりにも急激に思えて残念な気がします。しかしそれもよそ者である散歩人の勝手な感傷に過ぎないこともわきまえてはいるのですが、ついこの間まで東京の中でもわずかに残っていた、戦前の屋敷町らしい姿がこうして消えていくのを見ると、東京という都市が、歴史も奥行きも、多様性も失って、どこともわからない都市になってしまうように思われるのです。

 

 そんな中で、元小山邸近くの角地が一本のケヤキの大木を生かした小さな公園になっていました。「内藤町けやき公園」です。公園に建てられた説明版によれば、この公園のけやきは、直径1m以上もある大木で、昭和51(1976)年に新宿区みどりの文化財(保護樹木)に指定されていたようです。

 

 説明版の文章は次のように続いています。

 

「平成16年、土地所有者が変わりけやきが失われる懸念が生じましたが、この町の良好な住環境を守ろうと活動する内藤町の住民の熱意と努力で、この木は現在の姿を保つことになりました。

 そして、新宿区はこの土地を取得し、内藤町の住民の意見を取り入れ、新たにけやきをシンボルとした公園に整備しました。   平成22年12月 新宿区」

 

 こうした説明を読みますと、このケヤキは内藤町の緑と新宿御苑の緑が一体となって、良好な住環境を形成していることを、住民が実感していることがわかるとともに、おそらく町の歴史をも伝える存在として意識していたのではないかと思われるのです。そして区役所への熱心な働きかけがあったことで、区役所も動いたのでしょう。そんな住民の人たちの活動で、旧小山邸のケヤキたちも何らかの方法で保存されるような手だてがないかと、他所ながら願うばかりです。

 

 

参考文献:『内藤新宿昭和史』武英雄著・発行 紀伊國屋書店発売 1998年

     『総覧日本の建築第3巻/東京』日本建築学会編 新建築社 1987年

 

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