<消えた渋谷川と街と庭園ー19>

 

新宿御苑 ④

 

□玉藻池 (3)

 芝庭から橋を渡り、中島の州浜に立ってみますと、州浜は黒ボク石で水際を縁取り、小粒のゴロタ石を洗い出して、その中に根府川石の飛石が打たれています。しかし、この庭の数少ない見せ場としての州浜の作り様や石材は、大名庭園から皇室の宮廷庭園へと受け継がれたという由緒から考えますと、思いのほか質素で控えめな印象を受けます。

 

 そうした印象は、その先に据えられている円形の雪見灯篭にも共通しているようです。この池の広さから見ても、庭としての由緒から考えても、存在を誇示するというより、むしろ控えめな大きさで、また全体に丸みを帯びているために、柔らかくおとなしやかな感じがします。

 

 それもこの庭全体の、造形的な造りをあまり見せずに、自然の中に静まっているような印象を、そのまま表わしているかのように思えるのです。

 その州浜から西岸を振り返りますと、先ほど庭を眺めていた休憩所が、芝生の先に見えています。コンクリート造とはいえ、屋根は入母屋の瓦葺ですので、和風の庭に違和感なくおさまっていて、それ以上に左手の松や右手の板橋を配した構図は、なかなか絵になる景色と思われました。

 

 休憩所からの見え方としては、池との関係では休憩所の位置が偏りすぎているように思われましたが、逆に州浜からの眺めではやはりもう少し池に近いところがいいとは思いますが、それでもそれほど悪い位置でもないように見えるのですから、庭園内の施設相互の”見る・見られる”という関係と、それを配慮した配置というのは、なかなか難しいものだと今更ながら感じました。

 中島の反対側は、こうした広がりのある景観とは逆に、南西方向に細い入江状の水面が入り込んでいて、樹林が岸近くに迫っていることもあって、やや暗く閉ざされたような景観です。この細く伸びている水面は、休憩所からは南の正面にまで達していますが、水面に広がりがないために池がこの位置にまで伸びていることには気づかないのです。

 

 中島からは、短いコンクリートの橋が南岸にかかり、園路が樹林の中に続いていますが、また橋の上からは、東に向かって広く水面が開けている水景が眺められます。このように橋の右と左とがまったく異なる景観になっているのも橋の持つおもしろさで、それだけに橋をかける位置が慎重に計算されて定められたことをうかがわせます。

 

 その東に広がる視界の中には、人影はおろか人工物もまったく見えません。そのため水面の、奥に続く池の岸辺におおいかぶさるように茂る樹林が、静かな鏡のような水面に影を落としている姿は、まるで人の手によって造られた庭が自然に帰っていく様子を見るようです。

 

 玉藻池は、江戸時代の玉川園の名残と言われていますが、池の形はともかく池周りの植栽は明治期に作り替えられたものと思われます。池の片側には明るく広がる芝庭を配し、中島を挟んで対岸には対照的な、常緑樹の暗い樹林を対置させた空間構成は、京都の庭園とは全く異なるコンセプトと表現を示していて、明治期東京の自然風景式庭園の特徴を備えた庭であるように思えるのです。

 

 

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