<消えた渋谷川と街と庭園ー36>

新宿御苑 ㉑ 

 

□芝庭・日本庭園 (4)

 

 芝生の中にタギョウショウの点在する斜面の丘の上には、茶室で売店も兼ねる翔天亭があります。木造瓦葺の建物は、背後に樹林を背負い、目の前から池に向かって下る芝庭を見下ろす位置に建つだけに、庭全体を一望できるのではないかと思い丘に登ってみました。そして売店の前から眺めますと、周囲を樹林に囲まれた日本庭園が見渡せますが、ただ池のほとりの、中華風のそりの強い、赤い屋根を見せているはずの旧御涼亭(以前は台湾閣と言っていました)が見えません。

  

 これはなんとも思いがけないことでした。それというのも、翔天亭には何度も来ていてこの景色を見ているはずで、それでもここから旧御涼亭が見えるものと思い込んでいたのですから、自分がいかにボーッと景色を眺めていたのか、自らの事ながらあきれてしまいます。

 

 それはともかく、方向的には下の写真の画面の中央、芝生の途切れた場所にある2本の杉の向こう側のはずです。杉の成長によって隠れてしまったのでしょうか。いや、やはり成長の早い杉をその位置に植えればどうなるかということは、専門家はわかっているはずですので、隠すために植栽されたものと考えて間違いはないでしょう。ということは、ここからあえて旧御涼亭を眺めることができないようにしていたことになりますが、なぜだったのでしょうか。

 

 

 そこで、隠された向こう側からはこちら側がどう見えるのか見てみようと思い、池を渡って旧御涼亭に向かいます。

 旧御涼亭から池越しに芝生の庭を、つまり翔天亭方向を見たところです。ここからはやはり翔天亭は見えませんが、建っている位置は池の対岸の、日の当たっている杉の向こう側です。みごとに隠されていて、これはどうもお互いの建物を意図的に見えないようにしたとしか思われません。

 この日本庭園には二棟の庭園建築があって、一つは庭の北端から南面して見下ろす視点の翔天亭、もう一つは旧御涼亭で、こちらは池の南岸に建っていて、池越しに斜面の庭を見上げる視点という対照的な視点場です。そして普通であればそれぞれの建物が、庭園景観の点景物として景観ポイントにもなるはずですので、なぜそれを見せないようにしたのでしょうか。

 

 その理由はともかく、それを行った時期は年表(『新宿御苑』金井利彦)を見ることによって推測することができるようです。この庭は明治35年から39年にかけての大改修工事の際に、日本庭園として造られたもので、翔天亭も同時に建築されています。しかし御涼亭(台湾閣)は、当時皇太子だった昭和天皇の御成婚を記念して、台湾在住者から贈られたもので、昭和3(1928)年に完成しています。そして日本庭園も建物に合わせてこの時に改修していますので、その際に杉を植えて隠すことが行われたのではないかと推測されます。

 

 また、御涼亭への視界を遮る理由ではないかと思われるのは、日本庭園内に御涼亭を建築したことにあるように思われます。庭園が造られてから約20年ほど経て落ち着きを見せていた日本庭園に、派手やかな姿を見せるピカピカの御涼亭は、今の古びて落ち着きを見せる建物と違って、景観的に違和感があったのではないでしょうか。

 

 ことに翔天亭は、茶室という最も日本的で落ち着きが求められる建物であり、また庭園の全景を一望できる視点場からは、景観的になじまない御涼亭を隠す必要があったのではないか、と想像するのです。ということは、お互いの建物を隠すということではなく、翔天亭に立ち寄る人の視界から御涼亭を隠したということですが、さて実際にはどのような理由があったのでしょうか。

 

 

参考文献:『新宿御苑』金井利彦 郷学舎 1980年

 

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