<消えた渋谷川と街と庭園ー37>

新宿御苑 ㉒

 

□池庭・日本庭園 (5)

 

 この庭を構成しているのは、これまで見てきた上の池から続く細長い水路(流れ)の庭、そして旧渋谷川北岸の斜面を中心とする芝庭と、もう一つの旧渋谷川の谷底に連なる池を中心とした池庭で、その全体が日本庭園とよばれています。芝庭は、明治期の近代和風庭園と言われていて、玉藻池の芝庭や上の池まわりと共通する作風を感じますが、池庭はそれとはかなり異なる造りがされているように思われます。

 

 

 

 

 御苑の他の池と最も大きく異なるのは、池の汀線が細かい出入りを見せていてやや複雑な形になっていることです。そして護岸には他の池にはあまり見られない多くの石材を使って石が組まれ、沢飛び石や拝石など日本庭園の伝統的手法によって造られた見せ場が、そこかしこに散りばめられていることでしょう。灯篭や石塔なども他の庭に比べると多く見られ、日本庭園らしい景観を作り出しています。

 

 近代和風庭園といわれる他の池では、汀線の出入りも少ないシンプルな形で、護岸は丸太の乱杭であったり、石材であっても玉石や黒朴石などの、庭石としては安価で風情のないありふれた石を並べたような単調なものが多いのですが、この庭だけがなぜか石組などを多用した伝統的な造りになっているのです。

 

 この作風の違いは、マルチネー案の改修工事が開始される直前の明治34(1901)年に、動物園の鴨池を日本庭園に改修する工事が行われていて、「この工事には当時すでに名の知られていた庭師小沢広作が専属の園丁に採用され、彼の手で進められ、五か年事業の始まった年には完成した。」(『新宿御苑』金井利彦)ことにあるのかもしれません。

 

 この時の工事は、明治13年(1880)以来利用されてきた鴨池一帯を、動物園とするとともに日本庭園に改造する工事の一環として行われたもので、その際に玉川園から灯篭や「瀧口水路の庭石取解使用があった。」(「玉川園の築造と新宿御苑の変遷について」中島卯三郎)という記述は、玉川上水の余水吐から取り入れていた水を、池に落とした滝口周辺の石組を解体し、他に使用したということで、時期的にも、使われている状況からも、それらが日本庭園に「使用」されたのではないかと思われるのです。

 

 こうした経緯で造られた池庭は、玉藻池と共にマルチネー案による改修工事の範囲から除外されたために、必然的に他の自然風景式や、近代和風庭園の部分とは異なる印象の庭であり続けたと考えられるのです。

 

 

引用文献:「玉川園の築造と新宿御苑の変遷について」中島卯三郎『造園雑誌』第14巻1号 1950年9月

参考文献:『新宿御苑』金井利彦 郷学舎 1980年

 

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